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蕎麦ミステリー街道(2)
神隠し蕎麦屋 最終回
銀一は、富山の崋山に来ていた。月曜は、十字屋と同じく休みで、亭主の花岡が銀一と会う
ため店を開けて会うことなった。銀一は、花岡がそば職人の失踪に絡んでいるのではないかと、
考えていたのである。
「銀一さんの蕎麦好評だね、越中蕎麦なんて、気が付かなかった。氷見の素材をうまく
使っているし、うちの見習いの話では、そのぶっかけのつゆうまいんだってね。」
「いや、あそこだから、やれるんでしょう。実験させてもらいました」
普通、手打ちを習ったものは、まずもり蕎麦を基準に考えて、品揃えをする。これは、もり蕎麦
文化が定着しつつあるマーケットでの品揃えである。一方、成熟したマーケットでは、
差別化が命題になる。名店などのブランド化した店に追いつくのは、戦術的でなければ、
追いつけない。蕎麦の微妙な質のディテールだけでは、大変な時間が掛かる。最近の蕎麦屋で
目立つのは、総合力やエンターテイメント性である。蕎麦屋の域を超えているそば屋か、または、
わずかに細分化された隙間を見つけたところが、成功している。
一方、富山のように、特に氷見のような、蕎麦需要の未開発地域には、また違う戦術が必要
であると、銀一は見ていた。
銀一は、地域的には、蕎麦の価値観の芽すらないと、感じていた。だから、むしろ
食習慣的に慣れているものに付加価値をつけてやれば、いいのではないかと言う。
饂飩文化から派生したものや、地域に根ざした食材などを中心にして、その中で、
蕎麦本来のよさを時間をかけて啓蒙していけばよい、と考えた。
将来的には、あと2店くらいは、手打ち蕎麦屋ができれば、相乗効果が増すだろう。
消費者に機会を創出する、要は数をこなす発想である。それを、花岡に託そうと思っていた。
「僕もこのごろ、迷いだしてる。先輩達から習ったものを自分なりに工夫してきたつもりだけど、
ほんの微妙な差を、追いかけていただけなのかと。
それに、蕎麦に期待しているものが、東京と、ここではまったくちがうんだよ。
蕎麦はこうなきゃいけないなんて、元々ないし、錯覚だったよ」花岡の本音が覗いた。
「でも、うまい蕎麦って必ずあるでしょう」
「そりゃ、そうだけど、それに手打ち蕎麦屋が少ないだけに批判が集中するんだ」
「それだけ目立つということだし、やりがいはあるでしょう」銀一が諭した。
「そうだね、愚痴になったね」
しばらく沈黙のあと、
「今日あたり来るんじゃないかと思ってた」花岡が銀一の目を窺った。
「花岡さんも、人が悪い。みんなわかっていて、僕を氷見に行かせたんですね」
「神隠しなんてこと、言えないし。すまん」頭を下げた。
「職人さん、花岡さんの所にいるんでしょう?」
「みんな、わかってるのか」
発端は、銀一が尋ねてくる2週間ほど前だ。高橋が、花岡のところに相談に来た。
元々、高橋は、花岡の兄弟弟子の店に見習いで3年いた。何かあれば相談に行くように
言われてはいたのだ。
十字屋は、開店2ヶ月は順調だった。しかし、3ヶ月過ぎくらいから、めっきり客が
落ちたと言う。ひどいときには、日に5人。夜などは、客の来ない日が3日くらい続いたと言う。
経営者にとって、1ヶ月客が来ないのは、まるで地獄のような苦しさだと言う。まして、今回
初めての商売である。打開方法なんて見つけようもないし、客が来ないつらさに耐え切れない
のである。
そこで、咲が、饂飩を出すように高橋に命じたと言う。人気のある饂飩だから、客を掴むには
手っ取り早いのである。そこそこ客足も伸びてきたそうだ。
しかし、小さな町である。街で氷見饂飩を出す店が4店。戦争状態
になったと言う。ランチタイムのサービス合戦、値引き、なんでもありの状態が、2ヶ月ほど、
続いたと言う。
本来手打ち蕎麦で育った男である。嫌気がさしていた。次第に、嫌がらせもひどくなってきた。
最初は、醤油注ぎに、異物が浮かんだ。お客に何かあったら大変だから
毎日チェックしなければならないが、忘れた頃に、ザラザラした異物が混入する。そして、
営業中の立て札が、裏返しになって閉店になっていたり、看板がひっくりかえっていたり。
そんなことは、まだましなんですと、高橋が辛そうに言った。
「夜、店じまいして神社の横を抜けていくでしょう。右手の欄干から、女の化け物が
ふっ、と覗くんです。そこの神社の話は有名だから」職人がいう。
「まさか、錯覚だろう、嫌がらせで、そこまでするか?」花岡が笑ったが、職人は、
もう帰りたくない、と言うので、とりあえず、花岡のところで面倒を見ることになったと言う。
「もしかして、妨害はあったかもしれない、錯覚かもしれない、帰ってから調べますが
今は全く無いです。それに、饂飩さえ出さなければ、穏やかなものです。
饂飩がすべての発端だったんです」
銀一は、咲から聞いたことを、花岡に話し始めた。
咲は、高校卒業してから、すぐに海籐屋に入社。最初は事務で過ごしてきたが、先輩の
土岐 文也が大学を卒業して帰って来て、すぐに社交家の咲を自分の営業部に配属した。
女の営業部員は当時としては、画期的な抜擢で、文也はそれをに売り物にした。思った
以上に、咲の明るいキャラクターが受け入れられたのである。しかも咲は、頭を下げてばかり
のこれまでのやり方を止めて、コスト計算を武器に得意先の販売の拡充にも協力したから、
咲は、得意先に必要とされたのだ。
しかも酒席では、天性の場持ちを発揮したから、上層部にも可愛がられた。
高時屋の陰に隠れた存在だった海籐屋が、文也が帰って来てから、全く
それまでの売り方を変えたせいもあるが、店は急カーブを描いて成長した。
通販と、外販に活路を見出したのだ。そして、今では当たり前だが各地の銘産品の
有名店舗と組んで、販売網を広げていった。
上智の人脈を生かして、東京に小さな支店を開いて、デパートに入り込んでいった。
咲は、その成長の一翼を担った。すぐに2人は、男と女の関係になった。咲のほうが
積極的に文也にアプローチしたのだ。
文也は、学生時代から、筆屋の陽子と恋仲であったが、卒業後、親の大反対にあい、親の
薦めた、酒問屋の娘と結婚した。父が独立時に酒問屋から相当な借金をしていた。
文也は、密かに、咲と陽子を、愛人にしていた。咲との関係は、陽子の愛人説の陰に隠れて
表には出てこなかった。咲と文也の密会も、東京や、地方の出張時に限られていたせいもあった。
咲は、陽子と文也の関係をどこかで、切れたと思うことにしていた。
しかし、市の開発による食彩館の計画発表の頃、陽子との関係を直接文也から
打ち明けられた。文也からすると、咲を女として扱ってはいたが、一方では同志のような
気持ちもあったのだろう。同時に、咲との関係を、清算したかったのだろう。
不思議なことだが、文也の妻には無関心だったが、陽子には胸がちぎれるほどのジェラシー
を感じた。同級で、筆屋のお嬢さんだった陽子に対して、農家に生まれた、貧しい自分の出生
さえ当時から恨んでいた。しかも、饂飩屋の資金も、文也が出したと言う。
自分がこれまで、営業で頑張ってきたことが虚しいことになっていった。
裏切られたと思った。
当時、食彩館で2店が熾烈な戦いを繰り広げていた。咲は、テナントの%設定と、年間企画案を、
高時屋の専務に売り渡した。咲は文也を裏切ったが、文也のほうも責められなかったいう。
咲の退社は、裏を知らないものには意外だったのである。
そして、思いもかけない蕎麦屋の開業である。これは、復讐に近い仕業であった。
蕎麦屋の開業は、花岡に指導を受けたのだ。花岡は、咲の過去の経緯は知らずに、そば教室
に遊びに来た彼女と深い関係になり、蕎麦屋開業のバックアップをしたのだ。
「俺も今回の一連のことに、知らず知らずに噛んでいたんだ」花岡が溜息をついた。
「饂飩さえ出さなければ、大丈夫です。それぞれが、何も言えない。人間の欲が、からまって
いるだけなんです。誰も解けないです」
「蕎麦屋だけ淡々とやって行きたいよね」花岡が言うと、2人とも顔を見合わせた。
「そうしたいけど、どうでしょう?」銀一が、花岡の目に聞いた。
二人とも乾いた笑いだった。
「咲さんとは?今は?」
「なかなか、困ったなぁ」
「ま、どろどろにならないうちに」
「そうするか」
男女の関係は、思わぬところで繋がっていて、また、いざとなってもそうは簡単に解けないもの
なんだと、銀一は思った。
職人の高橋からも聞きたいことがあって、高橋とも会い、すぐに氷見に帰らなければ
ならなかった。
もんじ屋の陽子と会う約束を取り付けてあった。花岡にもそれを告げた。
氷見漁港から、ほんの1km程度はなれた海域に、唐島という周囲1キロに満たない島がある。
義経北陸路伝説では、能登から、この島に一時身を隠したとなっていて、弁慶の足跡が残る
岩もある。もちろん、無人島だが、観光シーズン用に作られた茶屋がある。
4月くらいから、10月くらいまで、日に何便かぽんぽん船が出て、運んでくれる。その島の
茶屋で、会うことになっていた。
「もんじ屋は、文也さんのあだ名を取ったんでしょう?」銀一が尋ねた。
「そう、文也だけど、もんやになって、もんじ」高校時代の話だ。
「それと、咲さんが、十字屋の屋号で開店したから、驚いた」念を押すように銀一。
「私が、クリスチャンだと知っていたのね。あの時は、すごい敵愾心を感じたの」
「咲さんは、いまだに文也さんをあきらめてはいないと、感じた」銀一が聞いた。
「私のお店を潰すくらいは、できる人だから、怖かった」
陽子の心配は、文也との関係を咲が壊すのではないか、そこまで膨らんでいたと言う。
咲の店に職人がいなくなれば、営業はできなくなる、まして、神隠しにあったということで
あとの職人は、恐れをなして来なくなるだろう、と考えた。
「職人の高橋に、お金を渡した。辞めてでて行くより、神隠しを利用した」と、銀一が言う。
「そんなことしても、問題は解決しなかった。あなたが来てしまった」小さな溜息が流れた。
「蕎麦屋と饂飩屋が、うまく生きていけるようにしましょう」
水平線が、夕景で、橙色に染まり始めていた
「小学校の頃、漁港から、ここまで泳いだことあるんですよ」遠くを見る目で陽子が話す。
「親からそれはすごく叱られました。子供って考えられないくらい無茶なことしますね。
その時も、文也さんと一緒でした。子供心にこの人の横にずっといたいと思いました」
岩肌が、これまで銀一が見たことも無いほど黒くて突先が鋭い。波が走っては砕ける。
白い潮が飛翔する。
深海底を持つ富山湾のなかでも、氷見の湾は1kmあたりから海底に向かって急勾配になって
いる。この島を境に海の色が一気に深い色になっていた。
銀一は、数十万入った、封筒を、陽子に差し出した。
「蕎麦職人から返してくれと預かってきました」
「恥ずかしいことしてしまいました。どうして、あんなに咲さんを恐れたのか、わからない。
同じ人を愛しただけなのに。もう、どうにもならないのかしら」
「ゆっくり、いい字を書いてください。いい饂飩をお客さんに食べさせてください。
そんな幸せなことを二つもできる人は、そうはいませんよ」
「ありがとう・・」
甘酸っぱいところてんをすすりながら、胸が締め付けられた。長い、男と女の情愛と確執の
絡まりあいを、銀一の一言で解決しようも無い。まして、商売も絡んでいいた。
一瞬の慰めごとくらいにしかならないのだろう。
「職人にお金を渡しただけですか?他に何か?」
「いえそれだけです。何か?」
醤油注ぎなどの件は、知らないようだった。
「そういえば、まだお参りしてないです、神社に」
「あ、それじゃ、神隠しにあうかもよ」陽子がいたずらっぽく笑った。
1週間後、銀一は、細かなレシピの受け渡しを、高橋と終え、福井に向かうことにした。
店の椅子の汚れを拭く咲の背中が、豊かで女らしい。
誰にも言えなかった過去の鬱積を一気に銀一に吐き出して、肩の力が抜けていた。
「銀ちゃん、私も、蕎麦打とうと、思うんよ」咲が振り返って言う。
「それはいい、すぐ打てるようになるよ」
咲は、銀一に告白した中でも、汚れた金で十字屋を作ったことを、後悔していた。
そのことは、一生咲が背負っていくことだから、銀一は何も言ってやれないのだ。
何かが解決しても、そのすべてが消えるわけでも無かった。
「氷見から、東京にも越中蕎麦が聞こえてくるようにしてください」
「銀ちゃんの店に負けんようにするわね」女店主が明るくなると、店までが光が差すようだ。
いつの間にか、天窓の祭壇から十字架が消えていた。
夕刻、銀一は、あっさりと別れを告げて、神社の横をくぐりぬけた。
どうせならと、逆周りに能登を回って、輪島の朝市など見ながら、福井に上ろうと考え、
居酒屋の中居に寄って、主人から詳しい見所を教えてもらおうと思った。
「やっと来てくれた。預かり物ありますからね、お帰りのときに声かけてください」
主人が、厨房から声をかけた。銀一の蕎麦の熱心なフアンになっていた。
今日は、旅館をとってあったので、過ごしてもいいだろう、と最初から、
立山の熱燗だ。
「ダメだよ、醤油注ぎ、しっかり見ないと、ザラ石が浮くんだから」
しばらくして、厨房から、アルバイトを叱る声が聞こえた。
「醤油注ぎに、石が浮くんですか?」銀一が尋ねた。
陶器でも、釉薬などの関係で、醤油で酸化して、ガラス状のものが出ることがある。
大半は、底に沈むが、かすかに表面に浮くこともあり、新しいうちは、注意が必要だ
ということだ。
特に、デザインや細工の凝ったものは、醤油がなじまず、出やすいというのだ。
十字屋の醤油注ぎの件は、いやがらせではなかった。そのほかの悪戯や妨害と思っていた
ことも、多分、勘違いや失念のせいなのだろう。
・・疑念や、嫉妬や、欲が絡まると、物事が見えなくなったり、余計なものが
見えたりするんだな・・醤油も、白装束の女も、そんなことか・・
引け際になっていたので声をかけた。
「筆屋の陽子さんから、ラブレター。悔しいね、陽子ファンとしては」」主人が紫の風呂敷を
差し出した。
包みを解くと、銀一への新品の筆が出てきた。
「あ、こりゃいいもの貰ったね、」主人がそれを確かめて、そばを離れた。
もうひとつ、厚手の手漉き紙が、紐で結ばれていた。紐解くと、墨文字が流れていた。
{そば処 銀一}屋号だった。何枚も、何枚も書いて、その一枚を、くれたのだろう。
筆跡が優しい、情があふれていた。色々なものを隠して、静かに生きて来たに違いなかった。
そんな人が、一時にせよ、迷うことがあるのだ。
・・店が開店できるのいつになるだろう。あと八店ある。気が遠くなる、
親父が反対しても、この屋号でいこう、親父に仕返しだ・・
11時頃、店を出て、最後に十字屋をひと目見てから旅館に入ろうと、思った。
神社の横をすり抜け、遠くから、灯りの消えた店を見て、振り向いて帰ろうとした。
欄干から、白装束の女の姿がふっ、と走りぬけた。
早く帰らないと、俺も神隠しにあう・・・銀一は小走りになっていた。
神隠し蕎麦屋 完
2005.09.04
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