連載小説 蕎麦ミステリー街道(2)
神隠し蕎麦屋-2

・ ・

  蕎麦ミステリー街道(2)
 
 神隠し蕎麦屋 第2回       作 夢八

   十字屋の、再開店である。銀一は、5日間の準備期間を貰った。まず本返しを、2週間分
  実家から送ってもらった。つゆを作るには、醤油に、味醂や砂糖をブレンドして煮あげる、
  返しが必要で、それは、2週間程度冷暗所で寝かせないと旨みが出てこないのだ。
  次に、知り合いの粉屋に頼み込んで国産の粉を定期的に届けてもらうことにした。
  昨年の北海道の蕎麦の不作で、今頃新規で国産をわけてくれるようなところはないのだ。
  「引き受ける代わりに、僕の好きなようにやらせてください」
  十字屋の経営者は、女だった。手打ち蕎麦好きなこの女性は、この蕎麦需要のない地に、周囲の
  反対を押し切って開店したのだ。
  「わかったわいね。こっちが頼んださかい、好きにやって」
  42歳の小柄な咲が、鷹揚に笑った。が、コストの管理に関してはしっかり念を押された。
  この歳まで独身で通し、前職が饂飩製作所の営業課長だった風変わりな女である。小柄な割には、
  均整が取れていて、バストが豊かである。勤めていた時代には、その豊潤な体で得意先を、
  相当絡め取ったという噂もあって、なかなかのやり手だったという。
  その咲が、饂飩から蕎麦に転向したのだから、狭いこの街には、格好の噂話の種になった。
  しかし、それが、大きな宣伝材料になって、開店当初は蕎麦が連日完売したという。
  咲の店は、市の中央部からやや離れてはいるものの、小さな町だから不便とまでは感じない。
  ただ、神社の脇に開いたことが不可思議であった。お昼は明るいものの、鬱蒼とした
  樹木が覆いかぶさっているから、夜は口角のライトを5本灯しても、穴倉に入り込むようだ。
  多分、コスト的に安価だったのか、演出効果を出すためなのか、いずれにしても、性格的に
  変っているのだろう。
  
  店自体は古い民家を丸ごと買い取って改装して、うまく蕎麦屋に仕立ててある。
  古い木材もできるだけ生かしてあった。店内は、小学校から貰い受けたという10人座れる
  大テーブルを再度磨きなおして中央に置いてある。その周りを、小上がり席が包むように
  レイアウトされていて、4人座卓が4席。満席で26席。余裕のある配置になっている。
  壁は、光沢のある泥壁を新たに塗りこめ、今はなかなか入手できないという流木を、不規則に
  組み合わせてある。夜はその隙間から間接照明が部分的に漏れてきて、やや怪しい雰囲気がある。
  天井は、藁葺き作りを模倣しながら柱の間を、鉄パイプが走っている。異彩を放っているのは、
  天窓の横に、祭壇があり、十字架が造作されている。これでは、隣の神社の神が怒って、
  職人が神隠しにあったとしても、不思議な気がしない。この神隠しの件、咲からあまり詳しくは
  聞いていないのだ。
  店の大胆なデザインを見ても、咲のセンスはこの街では抜けている、と銀一は思っていた。
  しかし、同時にこの店を作るには、相当腕のある大工が必要だったはずだし、民家の購入費用も、
  加算すると2千万か、それ以上か、相当な金を用意した、とも思い、
  女一人の気合のすごさを感じていた。
 
  準備中、銀一は早朝ずっと漁港に行っては、魚を見ていた。これだけ、豊富な漁獲のある地域の
  良さを生かさない手は、無いだろう。魚貝と蕎麦の組み合わせで、特色が出るものをメニュー
  に加えたい、と考えていた。
  そしてもう一つは、饂飩であった。饂飩を使うつもりは無いのだが、その饂飩のつゆに慣れた
  舌に、関東風のカラ汁の配分を薄くしたものでは駄目だろうと思っていた。温蕎麦の甘汁を、
  どうするか悩んでいた。
  
  ここは、饂飩の街という割には、氷見饂飩を食べさせる専門店があまり無い。
  市役所通りの交差点近くに、その少ない1軒のうどん屋がある。今風と、昔風の建築様式を
  うまく使って、なかなかおしゃれで、つい誘われるような店である。5年前に開店した
  ばかりだという。経営者は隣の筆屋の2代目の女性店主で、稀に和服を着て、店に立つ。
  書家だという店主、屋号も、メニューも自らの筆で、書いている。その文字から、楽しんで
  饂飩屋を営んでいることが、よく伝わってくるのだ。屋号は書家らしく、もんじ屋だ。
  箸袋は、毎日屋号をその筆で書いているようだ。「もんじ屋」という屋号の文字に微妙な違いが
  見て取れる。銀一はその都度持って帰ることにしていた。  

  「ここの醤油は、どこのをお使いですか?」3日通いつめて、銀一は聞いてみた。
  初日、ここに来てあまりのうまさに、銀一は唸った。
  饂飩は、氷見饂飩のものを使っているはずだ。
  今氷見饂飩も分派などがあって多少複雑な流れになっていた。公家衆への献上饂飩で有名な
  高時屋、ここのは、一昔前から東京の料理屋などに使われているものだ。
  氷見饂飩といえば高時屋の代名詞だったのだが、20年前程高時屋の使用人が独立した海籐屋が、
  今はそこに取って代わりそうな勢いでもある。他に数店舗があるが、2店が競り合っていた。
  咲は新興の海籐屋で女ながら営業課長まで務めたのである。咲がやめたときには、周囲は反対し
  皆一様に驚いたという。海籐屋のこの10年の躍進は、咲の力が大きく、咲の退社は、
  老舗の高時屋が手を叩いて喜んだという話が伝わっているくらいだ。
  氷見饂飩の特長は、半生饂飩である。乾麺も数種あるのだが、この半生が売り物で、こしが強く
  粘りがあって、味も独特な旨みがある。使われ方は、贈答がほとんどで、茹でに20分掛かるので、
  家庭食としては向かないのだ。
  その饂飩、高時屋か、海籐屋か、は不明だが、銀一の味覚を偉く刺激してしまった。
  とくにつゆがうまかった。甘いけど、舌に残らない。酸味が強いのだけど、醤油の辛さを
  邪魔してない。喉を通るときのつゆのふくよかな甘みが、波打って心地よい。
  関西の白醤油をベースにしたつゆには無い醤油本体の香りと、大豆のこくがある。
  だしは、カツオ、煮干、さばがバランスよく取れていた。
  
  東京の浜松町の蕎麦屋で、深山亭という蕎麦屋に、父親に連れて行ってもらったことがある。
  そこのかけそばを食べた印象がいまだに残っていて、どこの蕎麦屋にもなかった、あのつゆ
  を超えたい、それが銀一の夢の一つになっている。

  「本川さんの醤油です」女性の経営者は、3日も続けてきた銀一に即座に返答してくれた。
  初日顔を合わせたのだが、この日はお手伝いが、銀一が来たことを、隣に告げに行ったに
  違いなかった。旅行者風の男の3連ちゃんは、よほど珍しかったのだろう。
  咲に比べて、長身で細面、立ち居振る舞いも上品である。この女も独身だという。
  銀一は、自分の経歴と、今度十字屋に代打ちに来たことを告げた。
  「代わりの方が、見つかるまで、ということですか?」女店主はやや驚いたが、そう聞いた。
  「まあ、その高橋さんが、戻るまで、でしょうか」楽観的なことを銀一が言った。
  「神隠しにおうたらしいがね」お手伝いが横から口を出した。
  「そんなに有名な話になっているんですか?」
  「あそこの神さんの横に、十字架祭って、蕎麦屋はじめりゃそうなりますわいね。
  やきもち妬かられたんよ」お手伝いが、悪気も無く職人の失踪をそう話した。
  「僕も同じ目にあいますかね?」笑いながら、銀一が尋ねた。
  「饂飩も出されるんですか?」それには答えず女店主が聞いた。
  「いえ、僕は蕎麦打ちですから、饂飩はここで食べさせていただきます」
  「本川さんのお醤油は?」
  「温蕎麦のつゆのお醤油探してるんです。自分が開店したときに、参考にもしたいし」
  それを聞いて店主が奥にさがった。地図を描いているようだ。
  店への案内図を描いてもらっている間に初めて気が付いたのだが、うすく音楽が流れていた。
  ゴスペルのようだ。
  「ゴスペルがお好きなんですか?」メモを受け取って、銀一が尋ねた。
  「えぇ、若い頃に・・」小さな声だったので、後は聞き取れなかった。お客も来たので、
  店を後にしようとした。
  「隣の、神社に早くお参りしてください。そうすれば、大丈夫です」
  背中から、女店主の声が追いかけてきた。

  温かいつゆの場合、寝かしはそんなに問題が無いので、すぐに銀一は、そこの醤油を使う
  ことを、咲に報告した。
  「よう、教えてくれたわね、」咲は、不思議がった。
  「あん人、同級生なんよ。あんまり仲よくないんよ、お互い顔、あわさんようにきたもんね」
  どうして、そこまで仲が悪くなったかは、銀一もその時は興味が無かった。
  再開店の、新メニューを、懐紙に書こうとしている咲の手が震えていた。
  銀一は、厨房に行ってストック鍋の醤油の返しを、しゃもじで掻き廻した。
  「・・うまくなれ・・うまくなれ・・」銀一が{おまじない}を言う。
  その時、呟くような咲の声がした。
  「負けんから・・・負けんから・・」これは、呪文に聞こえた。誰に対しての呪文か?
  返しの中に、そんな厭な空気を送り込みたくは無かった。
  蓋をすると、返しの香りが厨房に立ち昇る。
  同時に咲の鬼気のような気配が、店の中に奔る。その時、もんじ屋の女主人の端正な
  横顔を思い出した。
  戦争だな、銀一は何か厭なものに、巻き込まれているな、と感じていた。

  
  第2回終わり
  次回は、一週間後の予定。なお、この小説は作者のフィクションであり、登場人物、店舗、
  団体も架空のものです。。
  2005.08.22
 

・ ・

 

COPYRIGHT 2005 YUMAHCHI ALL RIGHTS RESERVED