蕎麦ミステリー街道(2)・神隠し蕎麦屋-1

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 蕎麦ミステリー街道(2)
 
 神隠し蕎麦屋 第1回       作 夢八

 街が死んでいた。少なくとも、東京育ちの銀一には、そう見えたのだ。まるで、街灯だけが
 浮き上がる、真夜中の高速道路のようで、暗い。時間は、9時。市の中央通りを、一人
 銀一だけが歩いているような錯覚にとらわれる。そうではなかった。シャッターが降りた店
 がほとんどだが、稀に店が開いているところもあった。ここは、氷見である。
 銀一自身が、氷見に入ることになるとは、夢にも思わなかったのである。
 父親から、開店の条件として10店の蕎麦修業を命じられていた。その途中なのだ。

 6月末、大雨が北陸を襲った。銀一が身を寄せるはずだった福井の蕎麦屋が、雨で長期休業、
 急遽、福井に入らず、まず富山へ、そこから氷見に入った。氷見は富山線の終着駅で、
 地図上でいくと能登半島の付け根に位置し、漁業を中心とした街である。
 近年観光に力を入れ、魚の街として、知られてきている。特に氷見の寒ブリは、ブランドもの
 として、定着している。夏は、雨晴、島尾のビーチラインや能登に抜けていく、海岸線に連ね
 ている海水浴場と景観も人気が出てきている。
 
 手打ち蕎麦屋は、今富山市内までは、進出しているようで、著名な人の弟子も、市内で、
 5年ほど前に営業を始めていた。富山県は、食文化としては、金沢、関西の影響が
 強く、饂飩文化の根が張っている。手打ち蕎麦屋が育ちにくい文化圏の一つである。
 地図を頼りに、銀一は、大きな通りから、川沿いの裏通りに入った。川から潮のにおいがした。
 銀一は山に向かっているから、逆方向は、海がすぐ近くにあるのだろう。さらに上ると、
 神社の横手の、奥まった、路地の行き止まりに、その蕎麦屋があった。シャッターが
 降りていて、張り紙がある。
 [都合により、しばらくの間、お休みします。十字屋]
 シャッターに、左手をかけて、2度ほど読んだ。蕎麦屋としては、変った屋号だった。
 ・・文字の十字か、・・キリストの十字か、銀一は、踵を返した。
 
 「代打ちを探してるんですよ、氷見の十字屋で」
 銀一に、富山市内の蕎麦屋で、3年前に開業した崋山の花岡が話した。父親の弟子筋である。
 「うちの見習いを、貸してくれといわれたんだけど、そうも行かず、かといって、この県には
  そんな手打ち蕎麦屋がたくさんもないし、今すぐには当たりようがないんだ」
 花岡の話では、開店してまだ半年くらいで、かなり繁盛していたのだが、職人が、右手を怪我
 してしまい今休業状態で、助けを求めてきたという。
 「銀一さん行ってくれたら、それこそ顔が立つんだけど」
 崋山の蒸篭は、二、八のしっかりした蕎麦で、隅から隅まで気配りのある盛り方だ。
 更科は、やや薄緑が入った独特の色出しをしてあった。本来更科は白いのだが、花岡の考案で
 並み粉の微粒を加えて差を出してある。かすかな香りもこれまでの更科には無いものだ。
 もっとも、神田の老舗の初代は、更科を中心として、今では健康食品として知られている
 植物を配合して、独特のグリーンの蕎麦にして成功しているから、既成概念など、本来は
 捨てたほうがいいのだろう。ただ、この配合は、つながり易くするためなのか、安価にする
 ためなのか、色出しだけのものなのか、今となっては、不明だが。
 工夫も、時代に受け入れられるか、どうかのことなんだろう。銀一も開店には自由なことを、
 一杯試そうと思った。
 ここの亭主には、2度ばかり、蕎麦打ちを見てもらったことがあり、父親とも長らく親交があり、
 その依頼を銀一もむげには断れなかった。彼も、その蕎麦屋の経営者に何らかの
 借りがあるのだろう。世の中は、どうもそんな貸し借りで動いているのを、このところ銀一も
 わかりかけてきたから、かえって損な時もあるのだ。
 福井の蕎麦屋に行くことができなくなり、困った反面、気ままに旅して、この際
 北陸路を楽しみたいという矢先であったから、返事はためらったが、結局は引き受けたのだ。

 店を確かめて、後は明日にしようと、そこから、市の中心部に向かって、飲食できるところを
 探しながら、歩き始めた。居酒屋が途中2軒ほどあったが、気に入らず、さらに歩くと、
 やや今風の店があったのでそこに決めた。
 2組先客がいた。旅行姿の銀一を見たが、一瞬にして興味を失ったと見えて、またそれぞれの
 話題に戻ったようだ。カウンターに座って、何か珍しい肴はないかと、メニュー表を見て、
 一度に4品ほど頼んだ。
 酒は、立山、やや辛口で、常温がよいみたいだ。
 白えびの昆布締めが先に来て、喉を鳴らすように食べた。次は、ぶりの照り焼きだ。さすがに
 氷見のぶりは甘みがあってうまい。焼いても、身の脂が、残って旨みがある。
 煮物は、つるまめ、千石豆とも言うらしいのだが、あげと合わせてあって、これがなかなかの
 逸品である。
 美味しいものにありつくと、すぐに自分の不運を忘れてしまう。
 俺は気がよすぎる・・・。
 「東京からですか?」主人らしい男が、標準語で聞いた。
 「夕方入りました」
 「言葉でわかります」多分、この男も東京に何年かいたのだろうと思った。
 「蕎麦打たれますか?」
 「・・・うっ」言葉に詰まった。
 蕎麦切り包丁がはいった大げさなバッグと、太目の延し棒が入った袋などのいでたちから
 推察したのか、と思ったのだが、観察眼が鋭い。
 「最近右腕怪我した蕎麦職人いたでしょう」蕎麦職人はよくこの店に来ていたに違いなかった。
 「さあーそれはどうでしょう」やや視線を伏せた。
 「いなくなったんですよ・・」今度は、銀一の目を見て、さらりと言った。
 「辞めたんですか?」と、銀一。話が違う、と思った。
 「いや、突然いなくなったんです・・・神隠しです」
 「・・・」初めて、聞く語彙だ。不思議な響きがあった。
 「冗談でしょう?」銀一が、酒を飲み込んだ。
 「本当です」真顔だった。嘘でしょう?と言っても、もう一度それを繰り返す、と思った。
 まずいとこに来たな・・・。よりによって、神隠しの蕎麦屋か。隣は神社だったことを、
 思いだした。花岡が正直なことを、話さなかった理由がよくわかった。誰もそんな代打ちなんて
 受けないだろう。
 イカの黒作りにうっすら酒が香っていて、芸が細かい。
 「隣の神社があるでしょう」ますます主人が声を潜めた。
 そこの神社は、昔から神隠しで恐れられていて、その欄干の上を白い衣装をまとった女が
 飛びはねるように、人をさらっていくと言う。邪悪な魂を抜くために、その裏山の奥に
 隠してしまうという。そんな言い伝えがある神社だった。 
 いつの間にか、先客たちも、銀一達の様子を窺っているようだった。

 第1回終わり 
 次回は、一週間後の予定。なお、この小説は作者のフィクションであり、登場人物、店舗、
 団体も架空のものです

 2005.08.17
 

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