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赤い蕎麦花 第6回 作 夢八
宿は、小諸に向かう途中の、霊泉寺温泉にとってあった。
途中上田に入って、お昼は銀一のお目当ての蕎麦屋に入る。
上田の旧市街地のおお西という蕎麦屋だ。そこは、長野でも特別変わった蕎麦を打っている。
蕎麦の実を発芽させ、それを石臼で挽いて蕎麦にする。発芽蕎麦と言う。
香りも強く立ち、独特のもちもち感があり、こしもしっかりしている。
長野は伝統的な、蕎麦の産地でありながら、実験的な志向もあるのだ。
空気、水,土、気候、すべてによい蕎麦が生まれてくる条件が揃っている。しかも、
客も押し寄せるから、さらに蕎麦屋にいい環境となる。
美樹は上機嫌である。銀一は、まだそんな美樹に向かって、美咲さん、と呼んで、その
ままでいた。
国道254号を走っている頃から、松茸の看板がいたるところに散見できた。やはり
宿に着いたら、食事は松茸尽くしの料理といわれて頬が緩んだ。
そこは、美樹が人目を避けるために探したのだろう、目立たない10室ほどあるだけの小さな
宿だった。
ここは佐久に近いので、まず鯉の料理が運ばれる。虹鱒の包み揚げが美味しい。
地酒は、真澄、焼酎は42度の草笛。酒好きの美樹が吟味したのだろう。
間もなく、松茸の土瓶蒸しが出てきた。地物の香りが立つ。
「今頃、美咲さん、岡田さんと会ってるんじゃないの?」
銀一が、尋ねた。美咲が、長野に美樹を寄越した理由は判らなかったが、そうなると、美咲は
浮気相手と会っているのに違いなかった。それは、岡田だろうと思っていた。
「銀一さん、もう私と、美咲のことわかってるんだ」美樹は、さほど驚きもせず
銀一に酌をする。銀一も美樹に返す。お酒には強い。
「長野駅で、会ってから判ってきていた」
「美咲と、私の区別がわかってくれて嬉しいわ。双子だとわかっていたの?」
「譲吉さんから、美咲さんは双子がいると聞いて、もしやと思ったんだ。
どんなに似ていても、微妙に違うんだね」
「どんなところ?」
「色っぽい。特にそのほくろがね」美樹の頬のほくろに銀一が身を乗り出して触れる。
「そう嬉しいわ。顔では、ちがうところ、このほくろかしら」
食事の配膳をしている仲居が、気をきかして、美樹の席を、横に移していた。
「もっと、あるかもしれないけど。本当は確かめたかったんじゃないの」銀一の眼を見て、
悪戯っぽく笑う。仲居がいても、美樹は平気なのだ。
「あの時は、美樹さんだと思ってたからね」
「もう駄目よ。美咲のこと口説いちゃ」
仲居が、気をきかして慌てて出て行く。
二人の距離が近くなって、お互いの顔が接近した。美咲が浴衣の肩を崩して、銀一の視線を
楽しんでいた。胸の谷間が銀一を誘っていた。
「最初は、双子だとは思わなかったな。体型も変わらないし・・、考える事や、
好みも似るのかな」
「美咲と私とは、生まれた時から別々に育ったから、性格はかなり違うの。
ただ、不思議と男の人の好みは似ているみたい。
私の父の関係で、横浜で生活していて、初めて会ったのは、幼稚園の頃かしら、
みんなそっくりだと言うのだけど、本人同士はそうでもないものなのね」
「それが、お互い身代わりみたいな事をしだしたのは、どうしてなの?」
料理は、松茸の天ぷら、松茸ご飯、それのお吸い物、小さな旅館にしては、しっかりしたものが
運ばれてきていた。
「銀一さんは、私の事誤解している。私はまだ独り者なのよ」
「そうか・・、僕はてっきり。美樹さん美人だからとっくに」
「結婚して、銀一さんと、不倫していると思った?私、そんな遊び人じゃないわよ」
美咲が、美樹のところに相談に来たのは、2年ほど前だと言う。
靖男との仲がうまく行かなくなって、最初は、単なる夫婦の行き違いのような事だった。
その頃は、美樹の家族は、箕郷にいて、車で20分くらいの距離だから、
美咲も気軽に遊びにこれるようになっていた。
美樹の父親は、横浜の貿易商社に勤めていたのだが、美樹が高校に上がるのを機に、
箕郷でそれまでのコネクションを生かして、生花の卸問屋を始めた。美樹は、時々父の
手伝いをするものの、そう毎日忙しいという事はないのだ。ただ、商売上、高校卒業してから
花の先生についていて、もう師範の免状があり、時々は家で請われて、大きなイベントが
あると、花の飾りつけなどをしている。その気になれば、華道教室も開けるし、
仕事はたくさんあるのだが、まだのんびりと過ごしている。
ある日、美咲が、遊びたいところがあるから、美咲の友人達と一緒に出かけて、身代わりに
行ってくれという話になった。
面白い話だから、美樹も気軽に引き受けた。具合が悪いからと、あまり話も出来ないと
美咲の友達に告げて、それで通したが、友人達は、入れ替わっているのに気が付かなかった。
そんな事が、月に1,2回は続くようになっていた。
帰るたびに、美咲は、美樹にとっては大きな謝礼を包むし、多分不倫だと気がついたが、
それは、聞かないことにしていた。
しかし、ある日、貴美から、美咲と蕎麦職人の岡田があやしいと聞いてから、そんな事に
利用されるのもばかばかしいと思うようになって、多少慎重にはなっていたのだ。
ただ、美咲には、岡田以外にも浮気相手がいるようだった。
「あの日、僕の泊まった宿に、美咲さんの身代わりで来ることになったんでしょう」
銀一の紹介された宿に、群馬の女子高校OG会の歓迎名が書かれてあったのを思い出していた。
「そう、私、姉に頼まれて、その会合に現地で落合うと言ってもらって、前の日から
湯沢に出かけたの。そうしたら、蕎麦屋に銀一さんがいた」
「そこで、玄屋の名前が僕の口から出た」
「姉から、東京の蕎麦屋さんの息子さんが修業に入る事は聞いてたけど、
すごい偶然でビックリした。
私、その時、余り話しもしなかったけど銀一さんのこといいな、って思った。
その時、直感が働いた」
「どんな直感?」
「この人、玄屋に行ったら、姉の美咲とどうにかなっちゃうな、って。そんなところは
双子なのね。よく似ているの。私が好きな気持ちを抱くんだから、きっと美咲も好きになる。
それに美咲は、男好きで浮気者。すぐ惚れちゃうの」
「美樹さんは、惚れっぽくないの?」
「惚れっちゃったでしょう、この人に」二人とも大声で笑った。
「でも、宿には追いかけて行ったわけじゃないのよ。翌日の会合の下打ち合わせに来て
フロントの横の喫茶店にいたら銀一さんが、記帳していたの。
偶然が二つも続いたから、あ、これは!逃がしちゃいけないと思ったの。
本当は、違う宿屋を取っていたんだけど、キャンセルして。すごい度胸でしょう」
「宿は偶然か?そんなにもてるわけないよね」また笑う、酒も酔い頃である。
「あの日、お酒飲んで、段々銀一さんのことすごく好きになって、
でも悪戯しようかなとも思ったの」
「悪戯?」
「・・もしかして、銀一さんに抱かれて、その後、銀一さん群馬で美咲に会ったら
きっと、私だと思って美咲を抱くと思ったの。美咲も抱かれると思ったの。
それは、美咲を知っているから読めたの。
そうなると、岡田さんと三角関係になる。
美咲はきっとどちらとも別れられなくなるから、修羅場になる。いつも
美咲に利用されているから、美咲を困らせてやろうと思ったの。」
「それで群馬で会えるなんて、メモ残したんだ。
狙いは、うまく行ったわけだ。もう少しで、おかしくなりそうだった」
「でも、美咲と本当にそうなったら、どうしようかと思った。
私すごくやきもち焼いておかしくなったのよ。日が経つにつれて銀一さんの事、
気なって仕方なかったの。すごく後悔したの、本当のこと言えばよかった。
とうとう、二日前の夜中に美咲に電話したの。絶対銀一さんをとったら駄目だと、
美咲に言ったの。そうなったら
岡田との事、靖男さんに、ばらすといって脅かしたの。そうしたら、長野行き白状したの。
危ないところだったわ」
「怖いな」
「すごく怖い人よ、わたし」明るく笑う。
「美咲さんは、二度目に僕と二人で会った時、湯沢で美樹さんと僕とが何かあったのはもう
感ずいていたんだね」
「そうだと思う。最初に銀一さんと美咲が会った夜に、私に電話してきて確認したもの。
初めて会って、口説かれたって。変だと思ったみたい。
湯沢であなた銀一さんと何かあったでしょう、って。でも私知らない、って言ったけど
信用したかどうか」
「という事は、あの日は、美咲さん知ってて、口説かれてたのか」
「そうよ。美咲はもっと怖い女でしょう。私から銀一さんをとろうとしたんだから」
「もう、なんだか頭がおかしくなってきた」
「でも、今日は入れ替わってるのが判るか、心配だったけど、安心した。
私のほうがいい女でしょう。銀一さんとこうしていて、すごく今嬉しいわ」
「僕も嬉しいよ。どうしても会いたかった。夢みたいだよ」
「あら、そうやって、年上の女を騙すんだ」
酒が二人を上機嫌にしていた。
「靖男さんが可哀そうだな。岡田さんは、真面目に美咲さんのこと愛してるのかな?」
「どうだろう。判らない。岡田さんは、真面目な人だけど・・」
「お父さんは、僕と貴美さんを合わせたがっている」
「全く複雑なのよね。お父さんも何を考えてるのか。あの娘はまだ子供だから、銀一さん
にはどうかな」
「でも、美咲さんと岡田さんがこのままだといずれは、騒動に
なるんじゃないかな。元の鞘にうまく収まる事できないのかな」
「美咲の浮気癖を直さないと駄目かな」
「そんなに簡単に直るものかな。それと、靖男さんの自信回復もあるな」
「二人で、悪巧みをしない・・。今回は、美咲は身代わりいないのよ」
少し面白そうな誘いだった。
もう、美樹の膝元の浴衣がはだけてこぼれそうで、銀一の胸の動機が鎮まらない。
どんな悪巧みか判らないが、美樹の体の誘惑に銀一は勝てそうにも無かった。
「そばの花をわけてもらってきたのよ」
美樹が、紙袋から、その赤い花を、数片、座卓の上に散らした。黒い漆の中に、その花弁が
浮く。
「このぐらい咲いてみたいわ」
美樹の瞳が少し揺れながら、銀一の顔に接近してきた。
第6回終わり
次回は、一週間後の予定。なお、この小説は作者のフィクションであり、登場人物、店舗、
団体も架空のものです。
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