蕎麦ミステリー街道(5)・赤い蕎麦花 第4回 



  赤い蕎麦花 第4回       作 夢八

  「あ、いらっしゃい。お一人ですか?」
   豆腐料理屋の丸正に、入った。美咲の指定した時間まで、まだ1時間以上ありそうだから
   時間調整のつもりだった。
   「今日は、珍しく暇そうですね」
   「銀一さんが口開け、こんな日が、月に2回はあるから困るね」
   孝雄は、時間前にパートの2人は帰してしまって、奥さんと2人である。暇な日が大体
   読めると言う。もう3年データーを取っていて、それを基に、パートの手配、食材の
   仕入れなどもする。意外と細かいのである。
   「あと2時間で閉店だけど、こんな日は、お客さんが、あと一人くらいかな」   
   しかし、銀一にすれば、全く客が来ない日があるのは何か問題があって、それを詰めていくと
   メニュー構成と、価格設定に欠陥があるケースがほとんどなのだ。      
   今日は、聞きたいことがあって、そんなやぼったい話は避けた。
   「譲吉さんも、今後の事考えると大変だと言ってたな」銀一が水を向けた。
   「そうでしょう、やすさん見てると、甘すぎて、歯痒いと思いますよ」
   「夫婦仲、どうなんでしょう?僕には、仲良さそうに見えたけど」
   「そうでもないんだよ。この一年、かなり厳しいよ。それは、人前では良さそうだけど、    
    おい、お前にも、美咲さん、こぼすんだろう?」
    孝雄が、妻の三津を呼ぶ。
   「駄目よ、あんた!また飲んでるでしょう」
   客の来ない日は、カウンターの横に酒を隠して飲むようだ。
   「銀一さんだよ。美咲さんのところに、東京の有名なお蕎麦屋さんから修業に来て
    いる。蕎麦打つのうまいんだって。何だっけ、そう、美咲さんの話、ほら」
   「ここだけの話だけど、もう夫婦仲冷えてるみたい」三津が声を細める。
   三津は、美咲とはかなり仲が良くて、お互いの相談もしているようだ。だが、口が軽そうだ。
   「この一年、アレがないんだって、もう・・」孝雄が言いたそうである。
   相当酒が入っているようだ。こういう主人のいる店は、客には面白いが、
   うっかりしたことは言えない。
   「まあね、なんと言うか・・。ストレスで駄目みたいなのよ。
    ご主人も大変だから、うちのぐうたらも多少ストレスがあればいいんだけど」    
   「悪いね、元気で、浮気できるぐらい元気だから、こっちは。
    美咲さんは、よく我慢してるね」孝雄が、ますますハイになっている。
   「だから、あの岡田、蕎麦打ち職人の、できてるという噂があるけど」
    三津が言う。
   「どうなんだろう。美咲さん固そうに見えるけど」銀一が三津のほうを見る。
   「若い時は、色々あったのよ。結婚前も賑やかだったらしいわよ」
   「美人だからな、時々、ドキっとするくらい色っぽいよね。もったいないよね
    あんなのほっとくなんて。できたら一度でいいから、お願いしたいよ」
   「何言ってのよあんたは、しょうがない人ね」
  「それとな、岡田はどうだろう、
    妹の貴美ちゃんとできちゃえば、本店今のままだったら、岡田のもんになるよ」
   「そんな、岡田さんも、そんな事まで考えてないでしょう。貴美ちゃんだって
    人を選ぶから、そんなうまくは・・どうだか?」
   「あの娘も、今の若い娘だから、そこは、スパッと、岡田あたりとできちゃうなんて
    あるかもな」
   「銀一さん、こんな話、本気にしないで、かんぐりばっかりなんだから」
   銀一の想像以上に複雑な問題があるようだ。靖男が出す支店の意味は、もっと深いところに
   あるようだ。
   それから暫く、靖男の支店話をして、指定されたバーに向かった。 

   指定されたバー・ガイアは、8人席のカウンターと、奥に、4人掛けのテーブル席があって、
   テーブル席は
   隔離されているように、他からは見えない。
   電話が入っていたようで、銀一は、そのテーブル席に案内された。小さな町では、顔見知り
   がほとんどだから、このようなバーもある種の人間には重宝しているのだろう。
   テーブルには、ハーパーのボトル、肴が3種ほど並んでいる。
   手伝いの若い女が、注文のロックを作ってくれて、しばらく相手をしてくれる。
   「美咲さんは、よくこられるのですか?」
   「時々来られます。でもこのテーブルは、初めてのような気がします」
   美咲は、この店のオーナーと同級生で、大概が女友達と、来るのだという。
   10分ほど遅れて、美咲が入ってきた。
   「ガイアに行くと言えば、うちのほうは、大丈夫なの」
   銀一がグラスに氷を入れると、自分でバーボンを注ぐ、多めに注ぐから
   やはり強いのだ。
   「僕と飲んでいるなんて、誰も考えないですか」
   「男の人と、ここに来るのは初めてよ。今日は、酔うかもしれない」
   髪を巻いていたリボンを取ると、胸の前まで髪が揺れて落ちる。
   香水はシャネル系の匂いだ。 
   「僕はもう、1時間前から飲んでいるから、だいぶ酔ってます」
   「今日は、銀一さんに、相談もあるのだけど」
   「支店の事ですか?」
   「支店どころじゃないかもしれない。あの人はのんきだから、支店を出したがっているけど、
    本店のほうに火がついてるのよ。」
   「今のまま本店をしっかりやれば、大丈夫でしょう」
   「蕎麦を打ちたがらないでしょう。うちの父が我慢できるかどうか」
   「不満があるでしょうね」
   「仮に、これは仮によ、離婚したって、私はどうすればいいか・・。
    世間には、女が経営者で、職人を雇って、お店やってるところは、あるわよね」
   「それは、あるでしょうね。でも、亭主が蕎麦を打ったほうがいいですね」
   「いまのままだと、妹と誰かなんて事、父は考えそうで、焦ってしまう。
   「貴美さんとですか?」
   「そうなの、父は、銀一さんと同じで、女は駄目だと言うのよ。蕎麦屋は、そこの亭主が
    蕎麦を打つのが当たり前だ、と言うの」 
   「靖男さんとは駄目なんですか?」
   「もう駄目なのよ。あの人・・」もう2杯目のハーパーが、美咲のグラスから
   消えていた。もう二人には、夫婦としての体の交渉もない。そんな丸正の三津の話を、
   思い出していた。   
   「もう蕎麦を打とうという気力が無いんだもの。父だってそれは気が付いてるわ」
   「どうしてそんな事になったんですか?」
   「最初は、腕がおかしくなって、だって痛いって言われたら、どうしようもないもの。
    医者にも随分行ったのよ」
   「僕らも多少、おかしくなる事はあるけどね」
   蕎麦打ちは、腕や肩、腰の故障は付き物であった。それをどううまく直しながら、打って
   行くのかも腕なのである 
   「医者は、もう精神的なものじゃないかって。私が悪いんじゃないかって、言われ方なの」
   「気持ちの持ち方が、結構影響あるからな」
   「だから、私も息が詰まって、時々遊びたいと思うの、でも、そうはいつも出かけられないし。
    仕方ないから、女子高の同級生と、ここで飲んだり、旅行に行ったり。旅行なんかは、必ず
    写真何気なく見るのよ。結構嫉妬深いの、靖男は」
   美咲の細い指が、ロックグラスの中の氷を突く。美樹と同じ仕種だ。
   あの日、宿から、消えた女が残したメモを思い出していた。
   群馬で会える。それは、この事を言っているのだろうか。美樹と美咲は同じ女なのだろうか。   
   もう美樹でなくても、いいのかもしれなかった。それほど、上気した美咲は美しい。
   「あ、また見てる。あなたの前からいなくなったという人と、そんなに似ているの?」
   「きっと、その人は美咲さんだと思う」
   「試してみる?」
   美咲の目が輝いていた。  
     


 第4回終わり 
 次回は、一週間後の予定。なお、この小説は作者のフィクションであり、登場人物、店舗、
 団体も架空のものです

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