赤い蕎麦花 第2回 作 夢八
その蕎麦屋は、前橋に降りて、バスで5分くらいのところにある。駐車スペースは6台、
市内の蕎麦屋としては、ゆったりとしたスペース取りをしてある。
旧家を移築して、この地に10年前に移ってきた。それまでは、市内から車で20分ほど入った
箕郷町で営業していた。
観光シーズンには、開店前に並ぶような店であったが、手打ちブーム時に便利な場所に移り、
群馬の名店の地位を築いている。蕎麦畑は、長野に持ち、自家栽培、自家製粉を売り物
にしている。
手打ち 玄屋が屋号である。旧家の移築だから、中は、黒光りした大黒柱が2本。紋様が
際だつ木目の檜や、杉などで、設えられていて、落ち着いた風情がある。
4人席が10テーブル。小上がりに4座卓、8人がそれぞれ座れる。
群馬でもこれだけの大きな店は、1,2店あるだけだ。
「福井の健吉さんには、お互いに世話を掛けたり、掛けられたり、
ま、昔で言う戦友みたいなもんかな。あっちのほうが
大きい商売してるから、見習いたいけど、こっちは見ての通り、これで目一杯」
大前 譲吉、親が饂飩屋を営んでいたが、30代半ばに、東京の藪系列に修業に出て、
蕎麦屋を開業。まだ、50代半ばだ。
「玄屋さんは支店は、出されないのですか?」
「何せ、女腹だから、この店も、婿養子に何とかきてもらってるくらいだから、
支店なんかは無理だな」そう言って笑い飛ばす。
「銀一さん、靖男です」
「おうおう、うちの婿さんです」
年齢は28歳、5年前にこの店の職人に入って、譲吉に見込まれ、長女の美咲と結婚した。
美咲は29歳だから、やや姉さん女房ということだ。
「銀一さんに、色んな話を聞きたいと思って、待ってました」
「今日は、銀一さんの歓迎会やってあげるんだな。少し早めに上がっていいよ」
どうやら、総てが譲吉の指図で動いているようだ。
歓迎会といっても、靖男と、銀一の二人である。店は靖男の懇意の和食屋である。
豆腐料理を主にした、懐石料理風の店、丸正であった。
「大変です。皆は逆玉だって、うらやましがっているけど」酒の酔いが、
靖男を饒舌にしている。
「せめて支店でも出させてくれて、自由にやらせもらえるといいけど」
「これだけ成功されてるだから、もう1店くらいはね」
銀一が慰める。
「それがね、難しい。俺が支店を出したあと、仮に親父さんに何かあったら困るという
のが、女房の不安でね。美咲の姉は、嫁に言ってるけど、妹がいるから、
誰か婿を取って、本店を
やらせばいいんだけど、それは美咲が反対。本店を動きたくないんだ」
「やすさん」主人の孝雄が、地酒の桂川を持ってくる。
「また、例の話?適当に聞いてやってください、銀一さん。もう、はっきり美咲ちゃんに
言わないと、支店やりたいって。やすさんは、恵まれてるんだよ。これで、玄屋に男の子供が
いたら今のやすさん、ないんだよ。
少しくらい、女のうるさいのは我慢しなきゃ」孝雄が、からかう。
「女ばかりだから、そりゃ、みんな揃うと大変だよ」
靖男が、現実に帰って言う。
「僕は、親父と二人で、そんな賑やかな感じはわかりませんね」
銀一の方は、逆に賑やかな家族が羨ましいのだ。
「銀一さん、蕎麦と、この店の料理を一緒にしたような蕎麦屋どうだろう。やるなら、
彼も手伝ってくれると言ってるんだ。豆腐料理と蕎麦はいいと思うんだ」
銀一をここに連れてきた理由がわかってきた。
「月に二度は、東京に行って、料理をメインにした店、随分見て歩いてるんですよ」
どうやら本気なのだ。
「そうですね、近頃そういう店増えてきましたね」
「群馬でもできないか、と思ってるんだ」
「東京の場合は、条件がありますね。立地ですね。所得の高い層のオフィス街
の近くで、都心にも近いことですね」
そのクラスの店の客平均単価は、夜5千円。酒が入ると、8千円になる。
その客層は、ほとんどが領収書で、会社経費なのだ。味や、雰囲気が重要になると、
銀一が言う。当たれば、収益、利益率も高くて、効率がよい。
この高級層を狙える場所は、東京でも限られている。銀座、日本橋、九段、麻布、青山など、
他も入れて8ヶ所程度だという。
「単価5千円以上だと、まず立地です。例外もありますが」
「やすさん、この店も2年掛かったよ。やっと利益が出てきた。
銀一さん、群馬は、とにかく値段がまずありきだから、それでまず勝負しないとね」
群馬では、この店あたりで単価3千円。この層は、一番ボリュームがあるのだが、競争相手
も多い。ここに一番飲食店が群がるのだ。
「銀一さん、新しい蕎麦屋、やってみたいんだ。できたら、相談でいいから
乗ってもらえると。それに・・」
「そう、やすさん、肩と肘痛めて、蕎麦今打てないから、ま、新しいことやリたいわけ」
結構複雑な、事情がある、と銀一は思った。
「相談くらいでしたら・・」
「あ、美咲まだかな、もう店、終わったから、来るだろう。来たら
銀一さん、もう一軒、行きましょう」
妻の美咲を呼んで、ここで待ち合わせらしい。美咲はレジ清算、収支計算など、経理を担当
している。店の終了間際の2時間前程度に出勤して、一番遅くまでいることになる。
これだけ大きい商売をしていると、仕入れ、支出のせめぎ合いも重要な役割があって、
またそこを握られているから、靖男も頭が上がらないのだ。
「いらっしゃい!お待ち兼ねですよ」孝雄が迎えた。
銀一が、振り返って、玄関の方を見た。
グラスを、落としそうになった。よく見ると、湯沢で一晩過ごした美樹が歩いてきた。
しかし、美咲は、全く銀一とは初対面のように、落ち着いて歩いてきた。
「美咲、銀一さんだよ」
「よくいらっしゃいました。初日から、付き合っていただいてすいません」
銀一の声が出ない。他人のそら似だろうか?
声が違うような気がしたが・・。横顔を、そっと覗いたが、間違いない気がした・・。
銀一の頭が、宿の夜に逆流し始めていた。
・・群馬で会える・・このことだったのだろうか?
第2回終わり
次回は、一週間後の予定。なお、この小説は作者のフィクションであり、登場人物、店舗、
団体も架空のものです。
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