蕎麦ミステリー街道(5)・赤い蕎麦花 第1回 


 
  赤い蕎麦花 第1回       作 夢八

  女の腕が銀一の首を巻いている。 
   頭が朦朧としていた。温かい布団の中に女と居た。どうしてこんなことになったのか。
  女は、銀一の胸に抱かれるように静かに眠っている。まだ、夜が明けてないようだった。
  昨日のことを、少しずつ思いだしていた。
  福井から湯沢経由で、群馬まで上がる予定を、経由地の湯沢でとりあえず滞留することにした。
  途中、群馬の蕎麦屋に確認の電話を入れたのだが、主人が、出かけているらしくて、
  帰ってくるのが、3日後だということで、途中下車したのである。
  そば修業の途中である。福井の越前家からの紹介で、その群馬の店に入る予定だった。
  もう5店目になる。
  湯沢で一泊して、時間延長して湯に入ってのんびりして過ごした。
  もう2日ほどあったので、旅館から出て、どうしようかと迷っていたが
  湯沢駅から、少し入ったところに、うまい手打ちのへぎ蕎麦を食べさせる店があると聞き、
  そこに入ったのである。
  時間も1時過ぎなので、先客は2組。若い亭主が迎え入れてくれる。奥さんらしき
  女将と二人のようだ。せっかくの新潟だから、冷酒をと、メニューを見た。
  酒どころだけあって、銀一も注文に悩みだした。
  「上善如水の、ひやおろし、どうでしょう。原酒で、今しかないものです」
  女将さんが、助け舟を出してくれた。銀一は、八海山と思ったが、次の1本にすることにした。
  自家製の身欠きにしん、イクラの醤油漬けを肴にした。
  イクラがおいしいので、銀一がしきりに、誉めると、
  「川に上る前の鮭なんです」と答えた。ぬるま湯で、筋子を丁寧にほぐして、真水で洗って、
  水を落として、さらっと酒を振っておくのがミソだそうだ。
  身欠きにしんもとろりとして、絶品だった。煮立ての水がいいせいなのか、
  これも秘訣があるのだろうが、これは、聞きそびれた。
  結局、酒は2本飲むことになり、へぎを注文した。一人前は、東京では想像もつかないほどの
  大盛りである。
  蕎麦を5,6本手繰って、口に含みながら、舌で、味見して、噛み砕く。つるつるで、独特の
  こしがある。
  東京にも、へぎ蕎麦を食べさせるところは、2,3店あるが、銀一が食べたものとは、全く
  違った触感を持っていた。へぎ蕎麦は、蕎麦を盛る箱をへぎといい、蕎麦自体は、海草の
  ふのりをつなぎに使った蕎麦である。ふのりは、文字通り、糊として、使われていたが
  江戸時代あたりに蕎麦に入れることを思いついたとの伝承がある。
  蕎麦は、ふのりの量や、水の入れ具合で、蕎麦の色、触感、風合いが違ってくるが、
  やはり固めに打ちあがる。
  この中田屋のは、美味しいのである。
  「親父の本店は、温泉街の真ん中にあるのですが、そこは伝統的なへぎです。
   うちは支店だから、なんでもやっても平気なんです」
   まだ若い亭主が、厨房から出てきて、銀一に説明してくれた。
  「あのー写真とっていいですか?」銀一の後から入ってきた女が、若女将に断って
   写真を撮り出していた。客は銀一とその女だけになっていた。
  「ふのりの量の加減で、変ってくるんですけど、僕のは、やや少なくしてます」
  「だから、少し、柔らかくて、弾力も抑え気味なんですね」小上がりの女が銀一の感想を
   代わりに言った。
  「すいません、横から」荷物も余りなく、軽装である。年齢は、銀一より、やや上で、
   30歳の前くらいだろう。標準語だから、関東方面だろうと思えた。
   小上がりから、銀一に挨拶した。やや秋めいた茶系色のウエストの絞ったワンピースから、
   しなやかな体が想像できた。胸元は大胆なほどカットが切れ込んでいて、
   ボリュームのある乳房を強調してある。女らしい自信に満ちた体型が誇らしげである。 
   化粧は派手めで、顔は彫が深くて、美しかった。蕎麦掻と、へぎ蕎麦を写真に
   収めていたのである。
   銀一は、店の亭主に一人旅であることを告げ、宿をお願いしてみた。昨日の宿が銀一には
   不満が残っていたのだ。
   銀一は、そば修業の
   旅であること、次が群馬に向かうことなどを簡単に説明した。
   一人旅の女も興味があったらしく、静かに聞いていたが、ところどころ、質問してきた。
  「群馬のどこのお蕎麦屋さんですか?」女が銀一の行く処を訊ねた。
  「玄屋さんというところで、しばらく修業します。
   あ、銀一です」女に挨拶した。  
  「美樹です」名前しか言わない挨拶にお互いに笑った。
   銀一の旅装束の、大きな昔風のバッグや、太い延し棒に興味を抱いたらしく、
   何が入っているのか盛んに見たがっていた。東京で蕎麦屋の実家があって、蕎麦の修行に
   出ている銀一が珍しかったのだろう。
  「もう4店ほど、駆け足ですけど、廻ってきました」
  「昔で言ったら、剣の武者修行ですね」
  「そんな大げさなもんじゃありませんけど・・」  
  「今度会ったら、そのバッグの中身見せていただけます?」
  「いいですよ」今度があるかどうか、判らなかったが、そう答えた。
  「それじゃ、追いかけなくちゃ」
   最初は冷たい印象だったが、なかなかの、ユーモアもあって、銀一たちを
   楽しませた。左頬の中心に、大きめのほくろがあり、色っぽい表情を作っている。
   まだ色々聞きたいようだったが、銀一と亭主のそば談義が始まったので、
   途中、美樹は、勘定を済ませて、
   小上がりから、銀一の前を過ぎた。なぜか男物のブルガリの香水が匂った。
   客は銀一だけになっていたが、この時代に、そば修業の旅は、インパクトがあったようで
   主人が感動した。しばらく、主人とその旅の話になった。
   その間、女将が宿の手配をしてくれ、懇意な所を世話してくれたのだ。
   
   宿は、思いもかけないほどの老舗だった。記帳を済ませたが、宿泊代も気になった。
   部屋は、10畳と、8畳の2間。窓際の4畳のスペースに2人用の椅子とテーブルがある。
   部屋には、檜の風呂も附いており、一人には贅沢すぎて、居心地が悪い。
  「中田屋さんの二代目のご紹介ですから・・」
   仲居が、お茶を入れながら、料金がかなり割安になっているのではないかと言う。
   料理も宿のおまかせで、かなりのものらしい。
   食事の前に一風呂と思い、廊下からロビーを通る。明日のご一行様の欄に、4団体くらい
   入っていた。今日は平日のせいか、団体が無く、静かである。
   その中の一団体に、群馬という文字があったので、目に止った。
   群馬前橋四条女子高OG会様。銀一の行く先の名前があって、苦笑した。
   風呂から上がっても、先ほどの日本酒が抜けず、元々余り強いほうではないので、顔も
   体も紅潮している。
   再び、ロビーの前を通ると、係りから声が掛かった。
  「お連れ様が、来られましたので、お部屋にお通ししておきました」
  「・・誰だろう・・」
   心当たりが無かったが、先ほどの蕎麦屋の亭主か?
   格子戸の入り口を開けて、襖に手をかけると、微弱なブルガリが香って、まさかと思った。
  「追いかけてきっちゃった」
   やはり、先程の美樹だった。
  「ビックリでしょう。悪気は無かったんですよ、お帳場の人、連れと間違えたみたいで。
   それもいいかなと思ったんですけど」
   苦笑いしながら、銀一が座った。
  「蕎麦のお話聞きたくて」
  「蕎麦の話って、そんなに面白くないですよ」
   仲居が、二人分の夕食を運んできていた。
  「私の夕食の分は、私がお支払いしますから」
  「ここにいるとどうして?」
  「第六勘でしょうか?」
  「降参した」二人が笑う。
   真っ直ぐに向かい合うと、眩しいくらい、美しい顔をしていた。
  「日本酒がよいと、お聞きしておりまして」
  「あ、久保田の万寿だ」女が、無邪気に喜ぶ。
   一升瓶から、移し変えた酒器から、仲居が、二人に酒を注いで、部屋から出る。
  「ごめんなさい、美樹です」
  「銀一です」お互いまた、名前だけの交換に笑いあう。
   宿の贅を尽くした料理に、銀一も口が滑らかになって、修業の旅を美樹に話をした。
   氷見の十字屋で、帰りに神隠し女を見たところは、迫力がありすぎて、本当に
   怖がっていたようだ。
   料理は、前菜から11品。特に気を使ってくれたのは、越後牛のしゃぶしゃぶを、そば湯
   で張ったもので頂く。つけ汁は、そばつゆであった。
   美樹も、料理に感動して、酒がすすみ、頬が赤みを帯びて、色っぽい。もう、ずっと、
   美樹とは、知り合いのような気がしていた。
   彼女は酒も強いようで、二人で、一升の半分以上空けてしまった。
   銀一は、明らかに飲み過ぎていた。
  「お連れ様、お風呂はどうされますか?」
  「あ、入ります」と、美樹が着替えを持つ。少し、足元がおぼつかない。
  「銀一さん、30分したら、下のバーで待っていて」部屋を後にする。
  「綺麗なお方ですね。お似合いですわね」仲居が、事情も知らずに、世辞を言う。
   確かに、仲居が言うように美樹は美人なのだ
   その女と、蕎麦屋で隣り合わせになって、酒を飲んで、恋仲のように振舞っていた。
  「なるようになるか・・」
   違う世界を、泳いでいる気がした。贅沢な居室で、およそ現実ではない空気が膨張して、
   銀一を別な宇宙に運んでいた。
   
   1階のバーで、二人とも、強い酒を飲んで、部屋に帰ってきた。美樹は、浴衣に着替えて
   いて、そのまま、布団の中に潜り込んだ。銀一は、明かりを消して、隣の布団に、入った。
   ふー、と深い溜息を、思わず吐いた。シーツの糊が体に心地よい。
   その時、美樹が、布団に滑ってきた。
  「すごい女だと、思ってるでしょう」ジンの香りが、布団の中にこもった。
  「かなり・・」
  「銀一さんが悪いの」
  「どうして・・」
  「言わない・・」美樹の唇が銀一の口をふさいだ。
  障子からの薄明かりが、浴衣からこぼれた乳房の輪郭を浮かび上がらせた。柔らく豊満に息づく
  盛り上がりを、銀一の唇がつかむ。乳首が膨れて震えている。嗚咽が流れて、
  布団の上を体が這い上がる。
  しなやかで弾力のあるうねりが、銀一の体に纏わりついてきた。皮膚が濡れて吸い付くようだ。
  これが大人の女の体なのだろうか。銀一は豊かな波のうねりの上にいた。美樹が乱れている。
  熱く溢れた体に、銀一がゆっくり滑り込んで行った。美樹は、天に上るために、辛そうに
  銀一の胸の下で喘ぐ。長い、長い、それでいて、濃い時間だ。美樹は銀一の体の周りで、貪欲に
  に快楽を操っていた。銀一は、遠くから美樹を見ながら、その欲望の渦に巻き込まれていた。
  もう、二人は男と女の激しさだけで愛を確かめていた。
  美樹の体に不規則な振動が走り、
  体の奥から熱い涙が流れていた。断続的な濡れた声が、銀一を刺激して、美樹が頂上に誘う。
  女の体奥の深さを、銀一は初めて知った。その行き止まりに滞留して、美樹も銀一も時間を
  止めていたいと、互いの芯を咥えて離さない。銀一は、闇の中の美しい、獣の沸騰した
  中心に向かって走り出した。乾いた舌が、美樹の潤った口中を求めた。美樹の甘い体液を、
  吸い込んでは、美樹の喉に送り込んだ。二人の体が宙に浮いた。
  くぐもった、雌の叫びが聞こえた。銀一の体から赤い溶岩が美樹の中に拡散した。
  美樹の体の総てが銀一を固く掴まえて、銀一は、体ごと征服されていた。

  朝、2度目に起きた時、美樹の姿はなかった。まだ、時計も、7時過ぎだった。
  座卓の上にメモがあった。
  
  ・また、群馬で会えると思います・悪い銀一さんへ、美樹・
   なぜ群馬で会えるのだろうか?不思議な言葉を残して、女がいなくなっていた。

  
 第1回終わり 
 次回は、一週間後の予定。なお、この小説は作者のフィクションであり、登場人物、店舗、
 団体も架空のものです。

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