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蕎麦ミステリー街道4 天下蕎麦 第8回 作 夢八
六本木ヒルズのテレ朝通りから少し入った路地に、空き店舗があり、
設計士と、光男と、銀一が打ち合わせをしていた。片側のシャッターには、張り紙があり、
MITU・ダイニング・バー、11月14日開店予定と書かれている。先月までは、
イタリアンカフェバーであったが、そのシャレた造作を生かして、
光男が蕎麦屋を開店しようとしていた。
そこは、六本木ヒルズ周辺の客を目当てに開店したのだが、1年ほどで閉店に追い込まれた。
ヒルズの客層に合わせすぎて、似通った店の中で埋没したようだ。
円形のカウンターがメインで、ゆったり、20席ある。テーブルは4人掛け4席。
むしろ蕎麦ダイニング・バーのほうが、新しいセンスになるだろう。厨房は大幅な改造だが、
店内造作、店頭は多少の改訂で済みそうだから、コストも安上がりだ。
ヒルズのカフェで、光男が頭を下げた。
「今回は、恩にきるよ」
「いや、光男さんが割り切ったからだよ」
銀一は、光男がやつれた顔をして帰ってきた日を思い出していた。
光男が自分の計画中止の後始末を終えて帰ってきたのは、10日後だった。すぐに銀一は
連絡を取り合って、茜の2階で光男と恵の3人で会った。
「天下を取りそこなった」光男が、笑いながら言う。
「10年後に取れるさ」銀一も笑う。
恵が、黒龍の冷を二人に出してくれた。
「光男さん、越前家から籍を抜かないか?」
東京で、光男も考えていたことを、銀一が先に切り出した。自分が、今の家にいることで、
争いが起きている。
外に出て、最初からやり直したほうが、いいのではないかと思い始めていた。
「何か、親父と話をしたのか?」銀一が相槌を打つ。
「光男さんの経営能力をこのまま本店に閉じ込めておくのは惜しいと言ってた」
「そうか、東京に出ろって事か」
健吉も同じことを考えていたのだと、光男は思った。
「陣さんたちと、決別したほうがいい。そのほうが、彼らもやりやすいだろう。ただ、陣さん
達も、光男さんの能力を買っているみたいだし、どこかで線を引けば、
同じ屋根の下で育ったんだから、うまくやっていける」
「そうだな、越前の母さんも、兄貴達も、良くしてくれたし、この10日ほど恨んだけど、
またやり直せるよな」
血のつながりの無い光男を、分け隔てなく育ててくれたのは、芳江だった。女の意地かも
しれないが、今思うと、高校までは、本当の母親と思っていたのだ。
「お兄ちゃん、うちに帰ってきな。そのほうが、みんなとうまく行くかもしれない」
「山花に若林と言う専務がいる。これが偶然だったんだが、僕の蕎麦学校の同期の先輩で、ね。
5年位前に、スーパーの仕入れ部長だったが、山花にスカウトされたんだ。
彼に話をつけた。これが、彼とFAXでの最終やり取りだ。龍蕎会のメンバーも協力すると
言ってくれてる」
銀一は、今回の陣達のプロジェクトに、オプション条項をつけてもらったのだ。
プロジェクトの銀座店の、姉妹店の条項である。
開店を同時期同日に行って、お互いに宣伝効果を高める。光男主幹の龍蕎会12店が銀座開店
のイベントに協力する。銀座店と、姉妹店は、顧客層を重複
しないメニュー構成にして、お互いのメリットのある顧客のデーターを交流させる。
姉妹店に、山花からの研修を受け入れる。1年後には、姉妹店のノウハウも山花に公開する。
山花の食材ルートから、銀座店の価格で、姉妹店が仕入れできることなど、大枠を銀一が
取り決めたのだ。特に、この食材ルートの確保は、個人店には死活問題で、開業で、
一番苦労するし、原価率が大幅に違ってくる。築地の仲買の権利を持っている山花から
の仕入れは、30%は原価を低減させるだろう。今回光男の
後始末も、その仕入れルートに対する処理が主で、今後のことを考えるとおろそかにできない
ことだったのだ。
「陣さん達もそれでいいそうだ、健吉さんが話をしてくれた」
「あとは、資金と、場所か」
「資金は、健吉さんがある程度のことはしてくれるだろう」
「ママもなんとかするって」
光男が、黒龍を一気に飲み干す。
「みんな寄ってたかって、俺を泣かそうとしてる」
銀一は、母を幼い時無くして兄弟もいない。いなければ喧嘩も、仲直りもできないのだ。
旅に出て、亡くした母親と家族の温もりを思い出したような気がした。
銀一は、20枚ほど図面の用紙を、光男の目の前に置いた。
「その若林さんから、空き店舗をFAXで送って貰った。さすが山花の情報はすごい。みんな優良
物件なんだ。うまく本店とバッティングしない場所を選んである」
「どうしたの?」物を言わない光男に銀一が言った。
「あっけに取られている。ここまでやってもらえばあとは俺がやる」
「そう、それでこそ光男さんらしくなってきた」
「それで、私にも東京に出ないかと言ったのね」
「お前プロポーズされたと思ったんじゃないか」光男が言う。
「いやね、兄さん」
もしかして、そんなところから、男と女は一緒になるのかと、銀一は思った。しかし、
まだ、修業の旅は、半分も終わってはいないのだ。
恵と、別れて旅に出るには、深くなり過ぎてもいた。恵は銀一の胸の下で毎日変化して
行くようだった。どこまで深く入って行っても男としての満足が尽きず、行き止まりが無かった。
銀一は、その女の奥深さに、溺れてしまいそうだった。
六本木のカフェから見ると、人は無尽蔵にいそうな気がする。しかし、この浮気な客達を相手
に、これから光男たちは商売の種を蒔いて、刈り取っていかなければいけないのだ。
「ここまでは、順調過ぎるくらいだな」光男が呟く。
開店10日前から、銀座店で、仮イベントスペースをとって、龍蕎会と提携して、
手打ち蕎麦実演、蕎麦教室、全国の蕎麦試食会など、光男の発案で実施する。大掛かりな
仕掛けだから、当然テレビ、雑誌などの取材が入るだろう。
その内の2日は、ヒルズの広場でも蕎麦打ちの実演をして、福井物産展とも連動した
イベントを実施するから、PRがかなり行き届くはずだった。
もう、銀一の出る幕は無いと思っていた。
「昨日、越前のお袋と、久しぶりに飯を食った。
俺が、謝ったんだ。これだけよく育ててもらって、うち出てしまってすいませんて、な。
泣かれてしまって・・」
「二人、母親がいて、いいね」ふと、銀一は死んだ母親の顔を思い出そうとしたが、
思いだせなかった。どうしても、恵の顔になる。
「今でも、実の親だと思っているし、そういう風に育てた、と言われた」
「そんな話、聞くと、まいる」
どんなに、藍に憎しみはあっても、子供は別なのかもしれなかった。しかし、健吉と藍に
対しては、許せない愛憎が渦巻いてはいるのだろう。
もうそろそろ、旅に出なくては・・。銀一の脳裏に恵の顔が浮かんだ。
今回ほど辛い決心はなかった。
第8回終わり
次回は、一週間後の予定。なお、この小説は作者のフィクションであり、登場人物、店舗、
団体も架空のものです。
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