蕎麦ミステリー街道(3)・女の恋蕎麦 最終回

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 蕎麦ミステリー街道(3) 女の恋蕎麦 最終回

   作 夢八


 

 開店から、一週間後、銀一は、旅支度をしていた。明日は、この宿を出て、
 いよいよ福井に行く。銀の字も軌道に乗り出していた。もう、輪島を離れてもよい時期だった。
 風も涼が混じる、9月の中旬である。
 夕刻、栄子と由紀が訪ねて来た。この母娘が揃うと、花が咲いたように周りに光が当たる。
 栄子は、今日は紫地に、百合の柄が入った鮮やかな着物である。
 由紀は、麻地で淡いピンクのワンピース。流行の胸元がカットされたデザインで、
 大柄な体型だから高校生には見えない。
 女には、やや晩熟の銀一には、どちらに視線を投げかけていいか、迷う。特に、由紀の透き通った
 肌を見ると、眩くて、体が熱くなってしまうのだ。
 由紀は、母親に似て細面の美人顔だ。体型は、現代的で足も長く、身長も170cmはあって、
 黄色の向日葵のような華やかさがある。上を向いた胸がボリュームがあって、銀一は、
 目のやり場に困る時がある。
 この三週間ほど、 開店準備をする、銀一を、由紀は、弁当を運んだり、市場の買出しにもついて
 来て、小まめに手伝ってくれたのだ。由紀は、思った以上に料理の感性があって、
 開店メニューのアイディアをいくつも出してくれた。
 早朝の漁港に二人で行くと、仲買の連中から、声が掛かって、仲の良さをからかわれたものだ。
 恥ずかしがる銀一をよそに、由紀は、楽しんでいるふうでもあった。
 このところ、由紀に対して、妹のような肌合い以上のものがあって、銀一の胸騒ぎがずっと
 続いていた。10歳近くも年下の由紀を女として見ている自分に恥じていた。
 由紀は、そんな銀一を感じているに違いなかった。銀一に対する接し方が、ある日から
 微妙に女としての行動になってきていた。化粧も濃くなって、香水も深いものになった。
 年齢の距離を、狭めようとしていた。銀一を誘う隙を作るようなところが出てきた。
 能登屋の過去のしがらみを解いて、由紀の将来に道筋をつけてくれた銀一に、由紀は、女として
 特別な感情を、抱いているようだった。
 由紀の中では、それはごく自然なことに思えたのだ。
 銀一は、努めて自分の気持ちが膨らまないよう、抑えてはいるのだが、ほとんどの時間を由紀と
 一緒なので、無意識に態度に出てしまう。
 銀一は、母親の栄子だけには、そんな男の欲望を悟られるのは、避けたかった。
 由紀の大きな目の中に、栄子が住んでいるような気がしていた。
 「こんな美人二人に囲まれると、まだまだ輪島にいたいと思います」珍しく、
  銀一が軽口を言ったが本音だった。
 「銀一さん、輪島の人になれば?それだったら、私も大学に行かない」由紀が
 大きな瞳を銀一に向ける。今日は、化粧がやや厚めで、ドキッとするほど輝いていた。
 「何、言ってるの由紀は、銀一さん困ってるでしょう」栄子が明るくなっていた。
 「本当だもの、でも、銀一さん修業終わったら、必ずいつか東京に帰るんでしょう。
 私も東京の大学へ行くから、銀一さんの追っかけやるの」
 自分の母親の前で、平気で言う。銀一が、栄子のフアンなのを知っていてなのだ。
 どう答えていいかわらず、銀一を苦笑させてしまう。
 どこまで本気なのかわからないが、母親の栄子も、胸の中は、こんな一直線な女なのだろうか。
 「能登屋から見本を預かってきました」
 蕎麦盆を、持ってきてくれたのだ。扇形の右手前に、そば処 銀一と、金押ししてあった。
 氷見のもんじ屋の陽子に書いてもらった屋号だった。
 「出来上がったら、銀一さんの実家に30枚送っておきます」
 「30枚?」15,6枚の半端な枚数だったものを頂くという約束だった。
 多分、30枚新しいものを作ってくれているのだろう。
 「その位のことはさせてください、と能登屋が」
 旅を重ねてくるごとに、何かが増えてきていた。人の言葉と、人の気持ちだった。
 屋号ができた。蕎麦盆ができた。
 あの、鬼親父に、少しは感謝するか・・。
 栄子は、前に比べると憑き物が落ちたようで、ふくよかな感じになってきた。
 相変わらず、着物が似合って、これからの女盛りをどう、生きていくのか、銀一は心配
 でもあった。卓のことは本当に諦め切れたのか、胸の中から熱い炎が吹き出てこないのか、
 近頃の明るさは、卓がそばにいることと無関係ではないと思っていた。
 男と女の事は、何があっても不思議ではない。この旅で、銀一が知ったことである。
 「開店したら、これも使おうと思います」
 栄子の目の前に、薬味入れを4本出した。卓に対する思いを、伝えるために、栃木まで
 行った、栄子の最後の賭けだった。どんなにかなわぬ夢でも人は追い続けるのだろうか。
 銀一は、それを、栃木の野路庵から、引き上げてきていた。
 「ありがとう、銀一さん」
 「これで皆、済みましたよね」銀一が念を押すように言った。
 「・・・・」
 栄子が、蕎麦盆に金押しされた銀一の文字に目を落として、その上を指でなぞった。
 「この名前は、一生忘れません」 
 由紀が、黙って聞いていた。母親の情念を娘としてどう見ているのだろうか。本当の父が側にいて
 母親がまだその愛を断ち切れていないのを知っているのだ。18歳の感受性の豊かなときに、
 大人たちの屈折した現実を理解するには大変な思いがあるだろう。まだ理解を超えていること
 があるはずだ。それを、とにかく受け入れたのだ。

 明日は輪島を後にする。もう、銀一の踏み込めない男と女の関係が、先ほどから渦を巻いていた。
 頭を白紙にして、福井に行こうと考えた。
 しかし、 何か大事な忘れ物をしたようで、夕食、地酒の菊姫を過ごしてしまった。その忘れ物は
 銀一は、わかっていた。由紀のことだった。珍しくかなり酔って、床に就いた。
 うとうとしていたが、布団に、甘い風が吹いて来た気がした。
 二の腕に髪が触れた。これは、由紀だろう。大事な忘れ物がすっぽり胸の中にいた。
 甘い夢想の中で、相手の熱い体としばらく格闘していた。
 銀一が踏み込めば、強い力で抗う。引けば、燃えるような肌が吸い付いてきた。互いの肌を
 取り合っていた。互いの息が入り混じってきていた。  
 「誰にもわからないように、来た」銀一の耳に鈴の音がこだまして、銀一は覚醒した。
 由紀の手が、銀一の髪を掴んだ。
 豊かな乳房に、銀一は、歯を立てた。由紀の体が波のうねりのように痙攣して、
 銀一の体を押し上げた。 
 胸が張り裂けるほど、高鳴っていた。由紀は一瞬のうちに銀一の体を柔らかく吸い込んだ。
 組し抱いた由紀は、銀一の知る由紀の実体から離れていきそうで、銀一は自分の体で
 本当の由紀を追い求めた。由紀に対する愛が、銀一の体から、噴火しそうだった。
 汲んでも汲んでも尽きないものを、銀一は、由紀の体に求めていた。
 互いの胸の中にある辛いものは、どんなに体をぶつけ合っても鎮まらず、膨らむばかりだった。
 大きな波が押し寄せては、さらに大きな波になる。不思議な泣き声が銀一の体を包む。
 これまで聞いたことも無い愛らしい、濡れた音色だった。もっと、もっと永遠に聞きたいと
 銀一は由紀に希んでいた。深く、深く銀一は女の行き止まりを探した。
 本当の由紀が銀一に向かって吼えた。銀一は、自分がここにいる、と由紀の中心に自分をぶつけた。
 急激に銀一の体の芯に溢れてきたものが、由紀の体に電流のように流れ込んだ。
 銀一が果てしない闇に向かって唸った。由紀は、獣になって銀一の肩を噛んだ。
  朝、目覚めると、由紀の姿は無かった。夢なのか、現実なのか、はっきりしなかったが、
  由紀の体臭が、銀一の体に色濃く残っていた。

 輪島からは、バスで、福井に向かう。銀一は、早朝宿を出た。
 バス停の曲がり角に来た時、由紀が駆けてきた。並んで、歩き始めた。
 昨日の夢の続きが、押し寄せてきて、平行感覚がおかしくなって、
 足が宙に浮いていた。由紀は平気なのだろうか?銀一は、由紀の赤いルージュの唇を横目で
 覗きこんだ。
 「昨日のこと、憶えてる?」その濡れた唇が動いた。
 「憶えてる」
 「そう・・よかった」由紀の視線が、銀一の横顔を掴んで離さなかった。
 「必ず、また会おう」昨日からある辛いものが、また胸の中で膨らんできた。
 「それだったらうれしいけど」
  銀一は由紀の手に少し触れた。由紀の手が強い力で握り返してきた。 
 バスが、銀一を待っていた。二人の手が離れた。
 「昨日、お父さんと呼べるようになったの・・」俯きながら、由紀が言った。
 「初美さんのことも、お母さん、と呼んであげて、まだ先でもいいから」
 「なるべく早く言えるようにする」
 これから先、うまく行くかどうかは、由紀の存在が大きいのだ。本人もそれを理解していた。

 9月の浜風が背中を押した。バスに乗り込んだ。客はさすがにシーズンオフなので、3人
 程だ。おそらく福井まで行くのは、銀一ひとりだろう。
 座席の窓から、バス停を見ると、由紀が銀一に声を出さずに何か言っている。
 口元をよく見て、銀一が笑った。
 て・う・ち・の・にょう・ぼう・に・な・る・・3回繰り返した。
 ああやって、女は、自分の中の女を自分で育てていくんだ、と思った。

 蕎麦より手ごわいものを、銀一は、やっと体で理解した。
 バスが、定刻より、早く出たことを、銀一は少し恨んだ。

 女の恋蕎麦  完
 

 

 
 
 2005.10.26

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