連載小説 蕎麦ミステリー街道・流れ修業旅-3

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 利賀村謎解き蕎麦 第3回 夢八 作

  修業2日目の朝は、早かった。銀一は5時には目が覚めた。

  昨夜から、気になっていたことがあって、なかなか寝付けず、うとうとしていた
  時間が多く、睡眠不足は明らかだった。しかも、深夜、人の足音が、庭先でしたようで、
  それも、寝付けない原因になっていた。
  隣の部屋は、帰ってこぬ蕎麦職人の部屋だ。襖一つで仕切られている。
  銀一が世話になっている離れ屋は、多分、昔は物置だったのだろう。母屋に比べると、
  柱が全体に細く、きゃしゃな造りになっている。戸を開けると、そこは、左手の視界が
  利賀村を見渡せる。10月には、蕎麦の白い花々が点在して、美しい光景が見渡せるに違いない。
  米作に適しない山村の奥に、その花々は咲き誇る。蜂が昇れず、霜の降りる地が、
  よい蕎麦の実を、育てると言う。それは、取りも直さず、人に辛い、厳しい土地ということだ。
  こんなところに、泰次さんは、生まれ育ったのか・・。親父は、ここを見せたかったのか、俺に。
 
  離れ屋と、母屋とは、中央の出口を除くと竹塀で仕切られていた。この出入り口は、
  24時間広角の白色灯が点いている。虫駆除と、防犯を兼ねたものだ。
  こんな明るい中を、誰も侵入するはずも無いと、思ったが、昨日の足音がしたほうに、
  歩いていくと、視界が大きく開けた。母屋の垣根の隅に近づくと、
  以前は母屋と、離れが自由に往来できたのだろう、垣根で仕切られた古い通路があった。
  錆びた錠が掛かっていた。その錠に手をかけると、もう、戸口が朽ちていて、外れてしまう。
  そーと開けてみると、新しい吸いかけのタバコが落ちている。
  メモ用紙と思われるものが、捨てられていた。
  落ち葉も人に踏まれた最近のものだ。
  このところ、この通路が頻繁に使われた、痕跡が、残っていた。
  中に入って、たどってみると、裏から、店の横をくぐり抜けて、泰次たちの居室に向かっている。
  彼らの台所の勝手口に入っていけるようになっていた。外塀の低いところから越えれば、
  外からも進入できないことも無い。
  母屋と、離れまでは、この通路を使えば、ひっそりと通えるわけだ。
  先程のメモ用紙の切れ端を、広げた。
  銀一の胸に渦巻いていたものが、確信に近いものになっていた。
  
  ここからは、遠く、富山平野が一望できる。標高千メートルもある地に、人が息をして、
  銀一の入り込めない生活が流れているのだ。

  打ち場に行くともう、泰次の姿があった。いつも通り、泰次は、カツオの枯れ節を、小ナイフで
  削っていた。枯れ節を、機械で、薄削りにする前に、丹念に、汚れや、血合いの部分を、
  削ぐ。前日に、鍋に昆布は浸してあって、昆布水ができている。その鍋がぐらぐら煮立っていた。
  もう何十年繰り返してきた作業なのだ。
  「銀さんは、いつ店を開店するがですか?」作業しながらの質問である。 
  「あと、9店入らなければならないですから、いつになるか」
  「あの親父も罪なことしますな、わしなら、勝手に家出るちゃ」
  「逃げますか?ぼくも」
  「わしんとこじゃなく、次の店にしてくだっさい、そんなことされたらかなわんもん」
  お互い笑う。心が解け合っていた。
  「銀さん、打ちますか」昨日、分量をあわせた粉を、冷蔵庫からだして、
  銀一に袋ごと渡した。
  今日は、泰次が、横で見ている。
  水を、粉の上から、廻しいれる。すかさず、指を立てて、攪拌する。
  「銀さん、そこは、ゆっくり、じれったいほど、ゆっくり・・」
  粉が、いい香りを立てる。泰次の眼で選別した蕎麦だ。
  手回しは、後は、一本道だった。・・なぜか?銀一の手が迷って止まりそうになった。
  
  「銀さん、まとめて、遠慮なく・・」泰次が小声で言う。
  「しっかりまとめます」ふっ、ふっ、ふっ、と息を吐いて、銀一が蕎麦玉に仕上げた。
  銀一の背後に、視線が届いていた。誰の視線か、わかっていた。
  延しも、うまくいった。課題の切りだった。
  親父から、修業に出るときに貰った、新潟の名人の業物を、出して、すー、すー、と
  滑らすように、重ねた生地の上を走らせた。
  しかし、違う感触を感じていた。微妙な差だが、生地が潰れて切れているのが、手に伝わる。
  汗が噴出していた。多分、刃が潰れている、と思った。
  刃がついていない包丁で切ると、重ねた蕎麦の下のほうが切れずにつながった状態になる。
  押し切りというよりは、潰し切りになるので、
  生地が上下にもくっつき、半分以上が失敗に終わることになる。
  ・・・悪意が銀一に仕掛けられていた・・・
  銀一が考え込んでいた。

   「これ、使いなさいや」泰次が、自分の包丁を、渡してくれた。
  「どうしたんか?」泰次が包丁を目の前にかざした。
  「なんか変なんです」構わず、仕事をする。
  泰次が、銀一の包丁を、仔細に見ている。
  「うーん・・・・」泰次が呻くと、それっきり、黙りこくった。
  泰次の包丁のせいか、蕎麦は、よく仕上がった。
  いつの間にか、背中の視線は、消えていた。
  
  11時開店の時間に、お手伝いの女が、華子を探したが、どこに出かけたか、いない。
  泰次が、使いに出したと言うので、レジ係りがいない忙しい日曜、店内は、戦争のようだった。

  「明日、出て行きます」夕刻、銀一が、泰次の眼を見ていた。
  「銀さんは、いい人やね」茶の間で、珍しく、酒を飲みながら、泰次が足を組みなおした。
  明日、月曜定休だから、過ごしてもいいのだろう。
  「今日は、つながりました。親父さんが、粉を換えたんですね」
  「わしだって、初日、つなぎの粉が抜かれていたのは、すぐわかった。
  あの田舎の粗挽きは、つなぎを入れないともう手に負えない。銀さんの失敗した捏ね玉を
  見たけど、紛れも無い10割だった。そんなことができるのは、一人しかおらん。
  華子の仕業だと、わかったんだが、理由がわからんて、最初は」
  「僕が、出て行けば、奥さん、お帰りになるでしょう」
  「多分な・・・、銀さんに見られたんじゃね、あの二人、高根の民宿で会っていたのを・・
  よりによって、同宿するとは、皮肉なもんやな・・。
  いずれは、人の口に上るようになる。銀さんでよかったかもしれん」
  「もう、ほとんど忘れていたんですが、華さんの、胸の、忍び香でわかりました」
  「すましてれば、わからなかったものを、粉を換えるなんて小細工をして。なんとかして、
  銀さんを追い出さないと、満が帰って来れないと思ったんじゃな。二人で考えたんだろう。
  でもあんた、2日目は粉の細工わかっていて、すり換えようともしないで。
  華がすり替えて、しばらくしてから、わしがまた換えた・・・」
  「本当は、失敗して、出て行こうと思っていました」銀一は気持ちを、素直に言った。
  「・・包丁は、満の細工だわね、大方、昨日の夜中でも忍んで、刃をつぶしていったんだろう。
  アレは、いい男じゃから、華子がたきつけたんじゃろう。人間は、困ると、なんでもする。
  悪い気が、胸の中に溜まってしまう。その気を出してやれば、皆、気が済む。本当にすまんな、
  頭下げるわいな、わしに免じて許してくれい」
  泰次の目に光るものがあった。しばらく沈黙があった。

  「華は、この村に、死ににきた女でな。ま、聞いてくれ、男に捨てられてな、今時
  一回か二回くらい男に振られたからって、死のうとする女は、純情なんよ、情も深い。
  激しい気性も抱いとる。・・・父親代わりかもしれんが、わしと一緒になった。
  蕎麦の好きな女に心底悪い女はいないと思う。今回は、銀さんに借りを作るけど、許して
  くださいな」振り絞るように、泰次が言う。
  「僕は、利賀村に来てよかった、と思っています」銀一が静かに言った。  
  「・・・いい蕎麦打てるようになるわ、銀さんは」泰次が銀一に酒を勧める。
  「母屋と、離れの垣根修理されたほうがいいですね、鍵も壊れているし」
  「あのままにしときます。人の気持ちにまで鍵は掛けられんでのおー」泰次が笑う。
  「余計なことを言ってしまって、お恥ずかしい」
  今度は、銀一が、泰次に酒を勧める。
  「包丁、研がせてもらった。忠直のあれほどのもん、初めてやから、手が震えたわ」
  「いい包丁があるのに、親父さんの足元にも、及ばなかったです」
  「いや、いや、年の功やて、蕎麦は時間が掛かるわい」
  ・・・いつか、時間が解決するんだろう、泰次さんならうまいこと解決するんだろう、
  しかし、男と女の糸の絡みは、そう簡単なことでは戻らないことは、若い銀一でも、
  想像はつく・・。地獄のような日々が、続くかもしれないな。銀一はそう思った。
  
  6月だと言うのに、霧が流れている朝だった。
  銀一が身支度して、戸口に出ると、泰次が封書を渡した。
  「銀さん、福井にわしが面倒みたのがいる。連絡しておいたから、いつでも入れる。
   最近は、なかなか、いい粉が取れてるようや、参考になるわいね」
  「一つ教えてください」銀一が、泰次のその節くれだった指を見た。
  「どうしたら,あんなふうに、そばが切れるんでしょうか?」
  「銀さんは、切っているとき何を見てる?」
  「・・・・・」不思議な質問だった。
  「わしはね、一番好きなもん見とるのよ」人懐っこい笑いを銀一に向けた。
  「そうですか、見てなかったです。誰のことも見てなかったです」銀一は、恥じた。
  「親父さんは、何を?」銀一が、問いかけた。
  「みなまで言わせるな、華子よ」高らかに笑った。銀一は少し安心した。  

  福井までの道程は、後に考えるとして、銀一は、最初に来た遊覧船で帰ることにした。
  船着場で待っていると、遊覧船がのんびりと昇ってくる。
  早朝便だから降りる客は、まばらである。
  銀一が、待合の座席に座っていると、降りてきた男客が足早にすぎた。
  岩風呂で会った男だった。銀一のことはもう覚えてないのだろう。
  忍び香が、川風で波を打って通り過ぎた。
  泰次が、華子のために作る、白い蕎麦の花の香である。
  浮気の相手を、泰次さん、戻したんだ・・・。皆、それぞれ辛いな。
  朝靄に煙る山間を蕎麦職人がやや、うつむき加減に、ひた歩いて、遠ざかって行った。
  
  「俺は、泰次さんのようには、なれないな・・
   せいぜい、親父の憎たらしい顔を見て、蕎麦を切るか」
  昨日ひろったメモ用紙を開いた。待つ、みつる。と書いてある。
  また丸めて、ぽい、と、船上から捨てた。
  「次は、福井か・・・」
  遊覧船は、浅緑色した庄川峡を、銀一を乗せてのどかに流れて、走った。

 
 利賀村謎解き蕎麦 完 2005.08.08

 次回 流れ修行旅  来週1回目の予定

 

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