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利賀村謎解き蕎麦 第2回 夢八 作
捏ね鉢に、銀一の汗が落ちそうになっていた。粉がつながらない。こんな事は、
初めての経験だった。帝庵では、夜半に、翌朝打つ粉を挽いて分量の蕎麦粉と、つなぎ粉を
あわせてておく。それを朝打つのだ。修業の第一日目の始まりだった。
銀一のために用意された、田舎9割そばがつながらないのだ。1割の小麦が入っている。
しかし、粉の感触が、砂を固めたようになって、経験の浅い銀一でさえ、もうこれは、
延せないと思った。恥で、顔から火が噴出しそうだった。
呆然と、蕎麦玉を、見つめていた。
「駄目なもんは、駄目やちゃ」
見かねた亭主が、代わりの粉を銀一に渡した。これは、もうすぐにつながった。
「なんでだろう?」銀一がつぶやいた。
「そんなこともあるがや、ま、年に一回くらいは」泰次が助ける。
この日は、土曜で、観光客用に、銀一が田舎40、泰次が並蕎麦を40、計80人前打った。
やや、長方形の打ち台で、2人が並んで打てるようになっていた。終わってから気が付いたが、
失敗したせいで、泰次の蕎麦打ちを見ている余裕がなかった、のが悔やまれた。
仕込が終わると、銀一の打ったそばの試しが、泰次のもとに運ばれた。この頃になると、
華子や手伝いの女2人も出揃っていた。華子は、レジ係と、厨房兼務、あとの女2人が、給仕と
なっていた。
昨日の化粧に比べると、華子は別人のように、薄化粧、そして清楚な感じだ。
あとの2人も見て、泰次の蕎麦に対する心構えに並々ならぬものを感じた。化粧香りを嫌って
いる。花飾りも、押し花の類か、ドライフラワーで揃え、トイレの押さえ香も、微弱な
茶香だ。
泰次の店は、4人テーブル席が4卓、10人がゆったり座れる小上がり座卓がひとつ。
観光地にしては、席数は少ないが、それだけ贅沢なスペース取りをしてある。
旧家を買い取っただけあって、柱は太く、天井も昔の杉板が、板目の渦模様を美しく描いている。
椅子なども確かな職人に作らせたのだろう、木目が黒光りして、重厚だ。
蕎麦の手繰り箸は、泰次が自ら木片でつくりこんで、今は珍しい柿渋漆で仕上げてある。
蕎麦猪口は、久谷焼き、色の鮮やかさが、全体のモノトーンの中で引き立つ。醤油入れ、
薬味入れなどの調度品も趣味がよい。何年もかけて少しずつ完成させてきた店であることが、
わかった。修業時代に、他店研究もし、現在も勉強している、成果が覗き見える。
「なかなか、上手やちゃ、」泰次が蕎麦を無造作に食する。蕎麦をザバァーとつゆにいれて
口に流し込む。銀一を褒めたのだ。
「いやぁ、お客さんの8割は、こう、つゆにドブンとつけて食べられるでしょう。
下品かもしれないが、それがうまい、と思うとります。
カチッとしとるね、東京弁で言うとエッジが立っとると言うがやね、華はどう?」
泰次が、試しを食べていた、華子の感想を聞いた。
「うちの田舎の感じがしない」華子が呟くように言う。
「若いから、元気だし、よく切れとるからね」泰次が、カバーしてくれた。
「駄目ですか?」銀一にすれば、よく打てたし、切りもよいと思っていたのだ。
「ま、今日はこれで行こう」泰次が、つゆを飲み干した。
・・・なぜ?つながらなかったのか?そば粉の感触を思い出していた。前の日、泰次が計って、
銀一が、つなぎを入れた。蕎麦粉1.8キロ、中力粉0.2キロ。まだ、腕が未熟なのだろうか?
失敗した原因が見つからなかった。20人前無駄にしてしまった蕎麦職人は身の置き所もなく、
口数も少なくなっていた。
この日、団体が、2組入り、蕎麦が売り切れた。うまいのだろう、なるほど、流行っていた。
泰次が、客が切れた午後1時頃、30分ほどで、20人前、田舎を
追い打ちしてきた。後の客用のものだ。
すぐに泰次が試しを茹でて、銀一に食べさせた。田舎の素朴な柔らかさがした。
「僕のは、切りが駄目なんでしょうか?」
「いや、気持ちやね、そのうち、わかるがね、すぐや、銀さん上手やから」
「そうですかね」泰次の田舎は、優しい味だった。
泰次を真似て、ザァー、とつゆにつけて、喉に蕎麦を流し込んだ。蕎麦に色々な食感があって、
これは、切りをわざと微妙に不揃いにしているせいなのか?。この腕前になるには、
どの位で到達できるのだろうか。
「素朴な味でしょう」泰次が諭すように言った。
利賀村に来る客の期待通りの蕎麦を出しているのだ。素朴でありながら、計算があるのだ。
つゆも、泰次が打った蕎麦だと生き生きしていた。
最後の一滴まで、銀一が飲み干した。
父がなぜ、最初にこの店を選んだか、少しずつわかりかけてきていた。
蕎麦と人の、親密な距離を、泰次は、見切っているのだ。銀一にはその微妙な距離感がわからない。
「華や、満は、イツ帰るんかい?」
夕食時、泰次が蕎麦打ち職人の満の帰りを聞いた。
「さあ、何にも言ってこないし」華子が心配そうに答えた。
「色男やから、どっかの女につかまっとるがかな」泰次が笑って言った。
「それだったら、いいんだけど」
「ほんまか?女だったら、お前、妬けるのと違う?」
「何言ってるの?馬鹿みたい」華子が言う。
そんな微妙なやり取りに、どう銀一が入っていいか、わからなくて
ホタルイカの沖漬けで、黙々と焼酎を飲んでいた。ずっと、今朝の失敗を引きずっていた。
今日は、泰次の手料理で、ホタルイカ三昧。ホタルイカのしゃぶしゃぶ鍋をメインに、
山菜と酢味噌で和えたものもあった。途中で出てきた、堅とうふのステーキは絶品で、
白髪葱を実山椒で炒めたソースがまた、よい味を出していた。
「今日、失敗したんですって?」華子が銀一に顔を向けた。
「めったに無いですよ」とっさに答えてしまった。
「明日、失敗したら?」笑っていたが、眼が挑発していた。
「出て行きます」銀一があっさり答えた。しかし、この言葉は喧嘩を売るみたいで後悔していた。
「ま、そう、言わんと」泰次が取り成した。
スーと、華子が台所に立った。微妙な寝化粧の、香が、立った。
何かが、銀一の胸に渦巻いていた。
利賀村謎解き蕎麦 第2回終わり
なお、この小説は作者のフィクションであり、登場人物、店舗、団体も架空のものです。
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