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巷間、様々なルフトヴァッフェの塗装とマーキングについての文献が存在するが、戦後50年を経てもなお考証は日々新たにされ、昨日の事実は覆される運命にある。これが闇夜を手探りで歩くような日本機の考証と違うドイツ機の醍醐味であるのだが、反面、OMPG(The Official Monogram Painting Guide to German Aircraft1935-1945)以来の歴史的変遷を同時代的に体験していない非独機ファンにとっては敷居が高く、ルフトヴァッフェの飛行機模型製作を敬遠しがちになる所以
でもある。そこで不祥私、がらんどうが21世紀における「独塗マ」のデファクト・スタンダードをここにお届けすることにより、独・非独を問わず、飛行機モデラーの皆様が安心かつ楽しく、ドイツ機の塗装を行えるよう願うものである(ぷっ.........笑)。


No
年代
戦域
カラー
カラーサンプル
解説
1
1940年夏
フランス 
65/02/70
&
Mottle 02/70 
バトル・オブ・ブリテンが1940年の夏に激化すると、RLM71/02/65のスプリッター迷彩に加えて、見方識別の必要が生じた。有名な黄色の鼻である。この鼻の色なくしてはガランド率いるアベヴィル・ボーイズも勇名を轟かせることは、かなわなかったかもしれない。
2
1941年
北アフリカ
 78/79
&
Mottle 70
砂漠の戦いが始まると78,79,80の3色が新しく使われた。これらは砂漠の砂の色とブッシュの色にそっくりであった。さらに言えばイタリア戦闘機の色にも酷似している。1941年11月にはL。Dv・521/1により正式採用となった。
3
1941年7月
ロシア
78/79+75/70
&
Mottle 70
東部戦線においては、各種のローカル迷彩が使用されたが、中でもJG3の3色迷彩は長年の謎であった。ところがJ.Prien,P.Rodaike氏の著作messerschmittBf109F,G&K(Schiffer Publishing,1993)によって、JG3の第I Gruppeと第II Gruppeが1942年の7月に受領したBf109F-4は、元々アフリカ向け仕様で、塗装も砂漠用78,79の2色であったことが判明した。その塗装の上からグレーやグリーンの迷彩を追加したらしい。有名なBolemski曹長の黄4番など多くは、胴体真ん中付近の78と79の境目を利用して独特な折れ線分割パターンに塗り分けた。以上はモデルアート増刊「飛行機モデル 塗装と仕上げテクニックガイド1」の中で、松樹祐司氏が解説されていた。追加迷彩色を白黒写真から推定するのは難しいが、今回は75と70を使用してみた。松樹氏の作例でも何色に塗ったかは明解にしていない。
4
1942年
1944年
本土防空
76/74/75
戦争中期の最も一般的な迷彩である、RLM74/75/76である。1941年11月に L.Dv.521/1.および2によって制定された。この頃までは、RIMの指定カラー番号は、数が増えれば、より明度が低くなるので覚えやすい。機首の黒塗装はJG3のSturm StaffelのFw190のみが使用した一種のユニットカラーである。肉薄攻撃をする部隊なので、士気を鼓舞する目的で採用したのだろう。同じ空冷エンジンの飛行機でも、日本の零戦とはかなり趣が異なって感じる。
5
1942年
1945年
夜間戦闘
(オランダ)
76/75
&
Mottle 74/75
1942年以降のドイツ夜戦の定番迷彩、RLM76と75。上面のインクスポットないしモットルは部隊、機体により様々である。最も塗装が難しいのは、He219のリバースパターン、すなわち上面75を残して、76を編み目状にオーバースプレーした迷彩であろう。これを再現するのに、ある作例では油土や文具のひっつき虫をマスキング材として使用していた。
6
1945年
本土防空
76/83/70!
このカモフラージュは、III /JG7のルディ・ジンナーの Me262と同様、81&82ではなくRLM 70(暗い色)&83である。このコンビネーションを証明する証拠としては、RLM公式ドキュメント(GL/C-10 iv E)で、RLM70の余分のストックをより速く消費してしまうように、RLM70&82コンビネーションを設定した。これらのコンビネーションには82&70、81&71がある。(カッティング・エッジ・デカールJG7Special、E.J.クリーク他による)

2001年5月 がらんどう記



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