●概要
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| エントリーナンバー |
008(2002年9月28日) |
| コース |
Aコース |
| お名前 |
かさぱのすさん(メール)、サイト「あんてーくし」 |
| スケール |
1/72 |
| 機種名称 |
「メルケ・サーブ」(または「サーブ・ミルスキ」) |
| 使用キット |
Heller「SAAB J-21A」(本体)
ハセガワ「メッサーシュミットBf109G-14」(機首のみ)
Academy「MesserschmittBf109G-6」(エンジンカウル部のみ) |
| 使用デカール |
青い蛇の目デカールはハセガワ「ブリュースターB-239」の余剰。 |
| その他特記事項 |
塗装はエナメル筆塗り&アクリル指塗り(!?) |
この戦闘機は、スウェーデンの開発した新進気鋭のSAAB J-21に、フィンランド最強の国産機:ピヨレミルスキの機首をもいでくっつけた、北欧最強の知られざる重戦である。
1943年6月13日に初飛行したスウェーデン国産の「エイプリル・フールの戦闘機」SAAB J-21は、奇跡的な傑作戦闘機であった。厳正中立を守るスウェーデンから、継続戦争中の隣国フィンランドにこの戦闘機がもたらされたのは、いまだ世に知られていないことである。
公式には義勇軍はもちろん、軍事的援助は一切禁止していたスウェーデンだが、この奇抜な最新鋭機が、果たして実際に「戦闘」に耐え得るものなのかどうか、王国空軍当局が最も気がかりなのは事実であった。
そこで「個人が非公式に持ち込んだ妙な飛行機」という触れこみで、1944年に試作機1機がフィンランドに持ち込まれた。「個人」として選ばれたのは、かのK.G.フォン・ローゼン伯爵である(その後、この最高機密を追求されないように、伯爵は公の場に姿を見せなくなる)。
しかしフィンランドに着陸したその日にエンジンの爆発事故が起きたため(J-21の搭載エンジンはドイツ製DB605Bだが、製造工場におけるレジスタンス行為によるものと思われる)、エンジンを換装しなければならなくなった。当然、フィンランド空軍の当時の主力Me109G「メルス」のエンジンを取り付けるべきだったが、これはスウェーデンが最高機密扱いで送ってきた戦闘機である。迂闊に現役戦闘機隊に「予備ないし破損機体のものをよこせ」ということは出来ない。後のない虎の子戦闘機を維持することに水を差すことになり、とりもなおさず隊員たちに、「このクソ忙しい時になぜ政府がメルスのエンジンを必要なのか?」という余計な疑問を持たせることになるからだ。
そこで白羽の矢が当たったのが、当時製造途中であった国産戦闘機「ピヨレミルスキ(トルネード)」試作型の2番機であった。こちらもエンジンはDB605である。機首のデザインもまるっきりメルスのそれである。この機首をかなり強引に合体させられたJ-21であったが、重量が増加して最高速度が落ちた他(機首に7.7mm機銃×2&20mm機関砲×1、機尾エンジンカウル上に(後向きに!)7.92mm機銃×2)、重心位置もかなり変わったにもかかわらず、意外にも安定した飛行性能を示したという。
この怪物と化したJ-21が再び空に舞い上がったのは、すでに対ソ戦終結後の1944年末になってしまったが、完全武装を施したテスト飛行時に、(故意か偶然か)ソ連機2機と遭遇した。気の毒だがこの姿を見たものを帰してはならない。瞬く間に圧倒的な火力でこれらを撃滅したといわれる(もちろん公式記録は残されていない)。
関係者は密かにこの機体を「メルケ・サーブ(お化けSAAB)」「サーブ・ミルスキ(SAAB嵐)」と呼んだ。戦後はスウェーデン・フィンランド両国ともに、このあまりに強力だが内緒だらけの機体の件は、「なかったこと」として封印したためになんの記録も残されていないが、「ある画期的な装置」が施されていたために、今もどこかで保管されているとささやかれている。
後向きの機銃2丁には、捕獲したソ連機(機種不明)に搭載されていた、「パイロットの射撃命令を感知する謎の装置」が連動していたといわれ、その指示は「ロシア語で考えなければならなかった」といわれている(←ここまで来るとやりすぎ!!)。
ない。J-21とメッサーをぶった切って貼っただけ。
。。。と言うのも恥ずかしいので、最大唯一のポイントを示す:
「このエンジンはメッサーとちゃいますよー。ピヨレミルスキですよー」と、他人はもちろん、まず自分に言い聞かせること(!)。
「北欧空戦史」中山雅洋著
ほか、拙者が中央航空博物館で撮影したピヨレミルスキの写真
※編者補記:スエーデンのJ-21戦闘機つうのはこれ(勝手にリンク)、三面図でエンジンナセルを見てください。
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