ヨハネス・シュタインホフ著
「最後の反乱」
ゲーリング弾劾と独ジェット戦闘機隊
河野士郎訳 原書房 昭和53年9月25日発行
Johannes Steinhoff "In letzter Stunde"
(The Final Hours: A German Jet Pilot Plots Against Goering)
上:なかなか時代を感じさせる表紙。裏表紙を観たい方はこちらへ
たまんさんの板で、この本の古書を入手された話が出ており、むーさんが(たまんさんは既に持っていると勘違いなされて)私にネット古書店で在庫がある旨、ご連絡いただき、2003年5月にさっそく購入。前にたまんさんにお借りしたシュタインホフ著「シシリー島空戦記」より数倍読みたかった幻の書。一昔前の日本のドイツ機に関する記事のうち「エース達の反乱」やJV44の記事などの多くは、恐らくほとんど同書からの転記でまかなってきたと思われるので、翻訳とはいえ原著が読みたかったのである。
さて「シシリー島空戦記」」がミドル・マネジメントの現場奮戦記であったのに対し、こちらは局長とか本部長クラスの上級マネジメントが、無能なボード(取締役以上の経営陣)に対し、企業の存続を心から憂えた末の行動記録と言えよう。
ゲーリング弾劾とか、エースの反乱と称されてきた有名な事件であるが、リュッツォウはかなり過激であったにもかかわらず、実際は第一から第三営業本部の本部長・局長が、無能な副社長に、専務・常務経由でなく、直談判をしたというレベルの比較的穏当な会議であったことが分かる。もちろん平時の民間企業ではなく、奈落の一歩手前の軍隊であるし、もともとトップダウンが絶対条件の軍隊であるから、どんな形であれ、上官への抗議は死を覚悟したものであったが。話はMe262の事故で大やけどを負った入院先での執筆開始からの回想で始まり(Me262の事故直後の負傷した写真が有り)、しばしば過去に大過去がフラッシュバックで挿入されて進む。ストーリーは皆様良くご存じの通り、まずい戦略からずるずる負け戦になっていくドイツにあって、ナチ党ナンバー2のゲーリングは、空軍大臣(元帥)でもあったため、どんどんヒットラーの信が薄くなっていく。彼自身空軍元帥としては実際に無能であったのだが、ナチ党には後ろにはSSを率いるヒムラーやらなんやらがいて、粛正されたレームの二の舞の可能性もあり、戦争後半からはゲーリングは空軍全体の中のスケープゴートを戦闘機隊に求めるようになる。曰く「若いパイロットは好色な種馬のような古い連中に堕落させられている「これらの脂ぎった冠おうむ達」といった具合である、最初の回想は、このような状況下で、シュタインホフが航空団司令を務めるJG77が本土防空に呼び戻された1944年11月にベルリンで行われた打ち合わせから始まる。職を失った爆撃機貴族が(前線に出ている戦闘機隊司令官と違い、爆撃機が無くて飛べないから暇な訳である)ゲーリングにすりより、軍人であるにもかかわらずナチスの教義に傾斜、ルフトヴァッフェ中枢部の権力抗争で優位に立っていく。爆撃機兵監P将軍(間違いなく爆撃機貴族のペルツのこと)が一生懸命、会議を仕切っている様子から、彼らのゲーリングへのすり寄りと保身(爆撃機パイロットは仕事が無いわけなので)、軍人としては入党できないナチスへの傾斜が大きくなってることが読みとれる。政治将校制度は前線にもあったようだが、国家指導部と将校団との世界観統一を目的として「NSFO」という組織も作られていたようで、空軍上層部が絶望的な戦局を考えるより、具体性のない国家社会主義の神学論争に逃げ込んだいたらしい。
「デブは排除しなきゃならん」(リュッツオウの言葉)
シュタインホフとリュッツオウはずいぶん仲が良かったようだ。シュタインホフが本土に戻り、またJG77航空団司令の任を剥奪された後(後任はエーリッヒ・ライエ)も互いの基地に訪問しあって行く末を憂いている。ガランドの参謀であったトラウトロフト大佐の狩猟小屋にエースパイロット(航空団司令)が集まったのは44年12月。メンバーはトラウトロフト大佐、シュタインホフ、リュッツオウ、エデュアルド・ノイマン大佐、フォン・マルツァン大佐、グスタフ・レーデル大佐、戦闘機隊兵監スタッフBr.少佐(氏名不詳)だったようだ。ここでの一連の会話で、やはり最も過激なのはリュッツォウであったと分かる。「デブ」はもちろんゲーリングのことだが、「排除」には最も過激な意味として暗殺から、穏当なレベルではヒトラーによる罷免ないし左遷まで振幅があったようだ。しかし、この会合の前にヒトラー暗殺作戦が失敗していた事実は、若い彼らをある程度冷静に保つ役割を果たしたようだ。ただし前線指揮官の情報レヴェルでは、ヒトラーに進言しゲーリングを失脚させるためのパイプ役として、天敵ヒムラーのナチ親衛隊の接近するという愚を犯すことになる(この本では触れていないが、ヒムラーこそ空軍を支配下に置きたいが為、空軍内の鼻つまみ者ゴロブ少佐を用いてガーランド失脚を陰で糸を引いていた犯人であったはずなのである)。「グライムがトップになる計画の頓挫」
この経緯を知らなかったのは私だけかもしれないが、この本で、いわゆる「エースの反乱」「航空団司令の反乱」の前に、「デブ」ゲーリング失脚の動きが、しかもそれがヒトラーの命令で行われていたことを初めて知った。44年秋、ヒトラーはゲーリングに見切りをつけ、フォン・グライム大将を呼び、グライムを実質的な空軍最高司令官とし、ゲーリングには名誉職を与え指揮権を剥奪するという案だった。グライムはその基本構想を練り始めたが、ゲーリングはこの動きに勘付き、ヒトラーに再度おもねり、結局この案は潰れてしまった。ヒトラーもロジカルにまた正統的に人事計画を立案・実施したのだった。結局ゲーリングに折れてしまったのは歴史を後追いすれば、まことに惜しいことであった。そうすれば、爆撃貴族ペルツ立案のボーデンプラッテ作戦は行われず、ガランドの「大鉄槌作戦」か本来的なMe262の戦闘機隊運用という流れになったかもしれない。ただし、この本とは別のガランドの回想(始まりと終わり)では、西側連合軍の空襲をそうやって少しでも遅らせたならば、ソ連がベルリン以西まで進出し、ドイツ国民はより過酷に蹂躙されてしまったであろうから、ヒトラーの「謝った」決断は「正しかった」そうだ。「緊急会議の招集」
リュッツォウとシュタインホフに対し、グライム大将は上記のような、取締役だけでの動きを内緒で教えてやった後「遅すぎたのだ」と諫める。とはいえ、戦闘機隊へのゲーリングの言われない叱責に対する強烈な不快感は、この時期最高潮に達していたようで、グライムもその対策は考えなければいけなかった。結局ここでグライムはゲーリング弾劾参加へは否、と答え、コラー参謀長との会議のセッティングを段取って終わる。引き取ったコラー大将が段取りをして、やっと45年1月19日にかの有名な「ゲーリング対航空団司令」の会合が持たれることになるわけである。これでお分かりのようにこの会談でリュッツォウの語った内容は「ゲーリング弾劾」であり、たかが大佐クラスが国家元帥に直接もの言うことは「エースの反乱」であるが、実際上、会議は結果として一種の「ガス抜き」にしかならなかった。巷間おおげさに書かれてきたことだし、確かに有能な若き将軍ガランドを助け、日和見主義者達をおさえ、無能なボスを弾劾する正義の士官の熱い思い、といった一連の行動はすばらしいメイク・ドラマである一方、実質的な意味は、前年ヒトラー自身がゲーリング更迭をためらってしまった時点で霧散してしまったのである。ただし結局比較駅穏便な会議体をとったせいもあり、リュッツォウ以下銃殺に処されることも無く済んだ。もちろん当時の日本の陸海軍では、このように信念に基づいた反逆行動は無かったのでは無いか。「ブランデンブルグ〜ミュンヘン/リーム:JV44-国鉄御用達」
無所任措置のあと「功名心にはやり、ユーモアの無い」後任戦闘機隊兵監ゴロブ大佐の客用バラックで過ごした後、シュタインホフはガランドと合流、JV44設立に尽力する。ヒトラーのお気に入り建築家にして、いまや軍需大臣のシュペアが、弾劾謀議の顛末をヒトラーの取りなし、それを聞いたヒトラーが激怒し、ジェット戦闘機中隊設立を示唆した。ゲーリングへ圧力をかけた結果の手打ち、落としどころ、というやつである。ここで少しだけ前線のエピソードが出てくる。こんな末期でもやはり戦闘機パイロットは女性の憧れだったこと、ガランドのベンツが木炭自動車に改造されていたこと、DKW製90ccオートバイが(ガソリンを食わないので)シュタインホフのお気に入りになっていたことなどが記されている。262の操縦はさすがにベテランだけあってすぐに収得したようだが、爆撃機の要撃は困難を極めたようだ。シュタインホフ自身の戦果については触れて無い(262での撃墜機数は計6機とされているが、JG.7での戦果が多いのか?)。ザクセンベルグ中隊にも触れており、「我々のために新型フォッケウルフ機で製空援護飛行を熱望していた。『貴方がたのように高性能機に乗ろうとは思いません』彼は言った。」とある。ザクセンベルグの乗機がドーラであることは分かったが、赤白段だらなどということには触れていない。また戦傷のせいでほとんど飛ばなかったなどという印象も本文からは感じ取れない。ヴァルデマール・ヴュプケとのやりとりも記されている。「ヴュプケは彼の機の胴体に『国鉄御用達』と書かせていた。この意味を尋ねられると、『出撃の度に国鉄で帰還しますから』というのが彼の答えであった。彼は連続して四回撃墜され、いずれも落下傘降下した」。邦訳の「国鉄のために」では今まで意味が全く通じなかったが、30年前に回答は示されていた。命がかかっているかどうか、国が滅びるかどうか、という結果の重大さは全く違うが、結局エース達の反乱の内実は、われらサラリーマン世界でも日常茶飯事のことと本質的には全く一緒である。例えば、爆撃機貴族の跋扈は、商社のアナロジーで言えば、鉄とか繊維のような過去の栄光事業部が、海外での売り上げ成績を落としてしまった戦闘機隊という事業部に対し、いわば敵失で進捗率ゼロなのに相対的に成績が上に見せかけてボードの連中にすり寄るとか、あるいは理論派で暇にしている優秀なスタッフが、ボードメンバーに余計な懐柔工作をしていた、といった状況か。あほな副社長の弾劾をしようとしたら、裏で社長と本部長が既に一回やってたりして、ボトムアップでの改善計画が頓挫しちゃう訳で、大手町の本屋さんに多い企業小説を読んでいるような趣すら感じられた。私は個人的にはもんのすごく面白かったですけどね、戦記に派手なドンパチやヒロイズムへの陶酔を期待する向きには当然売れなかっただろうなあ。そのせいか、ちなみに手元の古本も初版。
<参考資料>
・同書の日本語版は絶版、英語版。独語版とも日本アマゾンで在庫無し、英語版はアメリカに在庫有り