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航空会館の コードロン・シムーン方向舵

CAUDRON C.630~635 SIMOUN

 東京都の新橋にある航空会館の一階ロビーに、財団法人日本航空協会が所有する、アンドレ・ジャピーが日本へ飛行したコードロン・シムーンの垂直尾翼が展示されています。国内でもこの尾翼の展示の件は余り知られていないように思いますので、口答で協会の方に掲載許可をいただいた上でアップロードしました。ジャピーはパリ〜東京間懸賞飛行で九州の背振山の墜落したのです。その時の深紅の機体の本物の尾翼です。なおジャピー機のコードナンバーはF−ANXAで、サン=テグジュペリがニューヨークから南米のパタゴニアまでの対外宣伝飛行に使った同じく深紅の機体はF-ANXKでした。サンテックスがパリ〜サイゴン間のレースでカイロ途上の砂漠に時着し、星の王子様を書く羽目になった機体は背中が白、残りが赤で、F-ANRYというレターでした。同じパリ〜サイゴン間レースでは先にベテランのドレーが飛びましたが、べトナム・モンケイで不時着して失敗しています。 エレールの箱絵にもなっている真っ黄色なドレー機のナンバーはF−APMSです。

<ジャピーのシムーン>
 日本が民間航空機の調達をフランスを初めとする外国からの輸入に頼っていた時代の1936年、仏政府はパリ〜東京を100時間で翔破する懸賞飛行を企画しました。真っ先に挑戦しまた有力視されたのが、フランス人のアンドレ・ジャビーでした。同氏は既にヨーロッパ内の長距離飛行で実績を示して、政府からレジョン・ド・ヌール十字勲章を受けるほどでした。同年11月16日にパリを離陸したアンドレ・ジャビーが駆る深紅のコードロン・シムーンは驚異的な55時間24分で香港に到着しました。しかし11月19日、最期の区間である香港〜東京間で悪天候に遭遇し、東シナ海を越えて九州までは飛来したものの、佐賀から福岡に抜ける途中で、空の難所、背振山に突っ込んで機体は大破、アンドレ・ジャビーは重傷を負いました。しかし、地元の人の素早い救助活動により同氏は一命を取りとめ、翌春に全快して帰国しました。

 帰国の前にアンドレ・ジャビーは再び遭難現場を訪れ、関係者に救助の御礼を述べそして記念に機体の一部を地元に渡しました。そのひとつがこの方向舵で、故佐藤博九州大学教授(航空工学)が長らく保管していましたが、生前の当協会が譲り受けていたものです。

 当時ここ「航空会館」の敷地には帝國飛行協会(日本航空協会の前身)が在った「飛行館」が建っておりました。アンドレ・ジャビーは東京までは至りませんでしたが、その偉業を讃えて同協会より有効賞が贈られていますので、この地は同氏にゆかりの有る場所と申せましょう。(航空会館の解説より転載)

<C630所元>
全幅:10.4m、全長:8.7m、翼面積:16.0?、総重量:1,230kg、
最大速度:300km/h、巡航速度:270km/h、発動機:ルノー・ペンガリ空冷倒立直列6気筒160〜220馬力、
乗員・乗客:4名、初飛行:1936年12月

下左:シムーンの三面図。下右:アンドレ・ジャピー。いままで英語読みだとギャビーだと思いこんでいました(-_-;) でもジャ「ピ」ーなんですね。

下:方向舵の厚みはこんなもの。木製で羽布張りのようですね。尾翼側のアール部は剥げ方から見て木地のままのようです。

下:固定タブ。金属の板で二枚になっており木製(羽布製)の方向舵を左右から挟んでいます。

下:コードロンの文字。ステンシルではなく、全部筆塗りによる手描きです。文字色は白ではなく明るい銀色に黒い縁。縁と銀地の間にはところどころ隙間があり赤い地色が見えます。

下:墜落のせいでしょうか、羽布が一部破けています。裏地はキャンバス色というか亜麻色です。塗料で固められているので「破けている」というより「裂けている」といったほうが、それらしいです。

下:OUNと631の番号は白で描かれています。ただし遠目には白文字も銀文字も区別つかないかも。

2006年4月

財団法人日本航空協会のHP

小池繁夫さんのイラストレーション

ぶんぶん文化倶楽部のジャピー遭難の記事

拙作 エレールの1/72コードロン・シムーン