ヨハネス・シュタインホフ著
「シシリー島空戦記」
航空団司令の日誌
河野士郎訳 原書房 昭和53年2月11日発行
Johannes Steinhoff "Die Strasse von Messina"
はるとまん氏にお借りした、幻の名著(絶版になって久しい)、シュタインホフの「シシリー島空戦記」をいよいよお返ししなければならないので、普段めんどうな感想をメモっておくことにした。
基本的には、「負け戦の終わりの始まり」である。シュタインホフにはもう1冊「最後の瞬間」という大戦中のことを書いた著作がある。これはいわゆる「エースの反乱」という第三帝国の「終わりの終わり」を題材にした著書らしい。こちらも長く絶版で、一度も見たことがない。シュタインホフは、戦後西ドイツ空軍の将官として、Me262に事故による顔の火傷の跡というハンデをものともせず空軍総監まで上り詰めたので、かえって大戦中の異常な状態をあぶり出すことを使命と思ったのかもしれない。そしてシシリー島後退という、彼の履歴の中のたった12日間を選んだのは「遂行不可能な任務を付与され、決定的敗北への転機を踏み出した」時期であったから、と書いている。つまり、昨今のタームで言う「アクション・リフレクション・プログラム」「我が身を振り返って派失敗を教訓として活かそう作戦」なのであった。そう、これは坂井三郎の本のような、一現場パイロットの空戦記ではなく、航空団司令と言う管理職が、基地外社長(ヒットラー)、あほでぶ常務(ゲーリング)の率いる会社で、有能な平取締役(ガーランド)と気持ちを通わせながら、シニカルになりつつある部下や同僚をなんとか引率した、JG77部の営業部長さんの話なのである。似たような趣旨の本に、アメリカ人の56FG司令のハブ・ゼムケの自伝があるが、あちらは同じ管理職の書いた本と言っても、そこはそれ、勝ち組(^_^)の企業の部長から本部長まで出世した男だけあって、正しく実践的なマネジメント読本となっている点が異なる。
渋い装丁である。表4の左がシュタインホフ。ハンサムである。訳者河野氏は当時空自の現役空将であり、防衛駐在官として西独に駐在し、シュタインホフと交流があった縁で翻訳を引き受けたそうである。クリックすると大きな画像になります。<1943年6月21日 トラパニイにて>
「出撃の名前は何というのですか?」
「オデュッセウスさ」私が答える。
「艱難辛苦に見舞われるということだな。最前線を流れ歩いた末、メッシナ海峡を越えて最後にシシリー島へ流れ着いたわけだ。しかしボール遊びしている処女達が温かくわれわれを迎えてくれるということはありそうもないな」(P.15)シシリー島に進出して以来、野戦整備隊の作業場はテントの中であり、胴体に部隊番号と航空団マークは吹き付けるが、遊びに属する絵やマークを画く余裕はもはやなかった。(p.27)
「シュタインホフ、私はたった今、国家元帥からの電報を受け取った。今読み上げるから、どうか興奮しないでくれたまえ。(ガランドからの電話、後略)『シシリー戦線の戦闘機パイロットへ。メッシナ海峡上空の対爆要撃戦闘に参加したパイロットたちは戦闘を回避した。本戦闘に参加した各飛行群から1名のパイロットを抽出し、敵前における怯懦の故をもって、戦時裁判に付するものとする。国家元帥 ゲーリング』 もう一度繰り返すが、決して短気を起こしてはならんぞ」。(P.38)
私が彼と交わした話は、信頼感で結ばれた男同士の間においてのみ可能なものだ。話しながら、全戦闘機パイロットの尊敬を集めているこの将軍との会合に感謝した。(P.67)
「エリス、こちらオデュッセウス1、了解。カステルベノラトオ上空5,000メートル」(P.100あたり)
彼の部下たるヴィスコンティ少佐ー有能な男、極めて有能な男 ! (P195)
今、私は航空団の最終機として伊本土へ向かって飛んでいる。私が初めてこの島の上空を飛んでから僅か三ヶ月しか経っていない。「ヨーロッパ要塞」は急速に縮小しつつあるのだ。(P.221)